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私ばかり幸せでごめんなさい

「私ばかり幸せでごめんなさい」
これは、蜷川実花監督『人間失格 太宰治と3人の女たち』の中で、
二階堂ふみ演じる富栄がつぶやくセリフである。

富栄が書いていた日記は、
『太宰治との愛と死のノート 雨の玉川心中とその真実』
というタイトルで書籍化されている。

この記事の題にしている「私ばかり幸せでごめんなさい」は、
実際は「私ばかりしあわせな死に方をしてすみません」と書かれているから、
映画と日記ではニュアンスが少し異なってるような気もする。

初めてこの言葉を目にした時、ただただすごいと思った。
そうして「絶対仲良くなれないタイプのひとだわ〜」と思った。
自惚れないでくれ。こういうタイプのひと、本当に彼氏の近くにいないで欲しい。
そもそも初めて存在を知った時から、なんか嫌なひとだなと思っていた。

いつだか『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』という本を読んだ。
知ろうとしたことがなかったので当然なのだが、
この時はじめて富栄はいろんな苦労をしていることを知った。
戦争や震災、兄弟や結婚してすぐの夫を亡くすなど。
今を生きている私には到底想像のできない悲しみや苦しみがあったのだと知った。

いけ好かないひとだなと思っていたが、そういうの知ると印象が変わっちゃうじゃん。
ごめんなさい。
まあでも、日記に記されている言葉には素敵なものも多くて、
こんな風に自分の考えていることや気持ちを表現できたらどんなに良いだろうとも思いながら読んでいる。

「私ばかり幸せな死に方をしてすみません」は、
そういう言葉を残して、自分自身に言い聞かせていたのかなと思う。
そうしていないと潰れてしまいそうだったんだろう。
どんなに一緒にいてくれたって、
どんなに好きだと、僕の子どもを産んで欲しいと言ってくれたって、
どこまでいったって愛人でしかないのだから。

太宰には奥さんがいて、太宰との間に子どもがいる静子がいて、
それ以外にも、自分より若い良家のお嬢様も愛人にいた。
どんな言葉をもらっても、いちばんではない。
どう自分を納得させようとも、いちばんにはなれない。
誰よりもそのことをわかっていたのは富栄だったのだと思う。

太田静子との子どもが「治子」と名付けられた、その場面も日記に記されている。
「太宰治」の「治」の字が使われたことに対して、顔が腫れるくらい泣いたらしい。

「いや、いやお名前だって、いや。髪の毛一すじでも、いや。わたしが命がけで大事にしていた宝だったのに」
『太宰治との愛と死のノート 雨の玉川心中とその真実』


この言葉は、映画『人間失格』でも登場するが、
こんな言葉が出てくるほど人を大事に思ったことがあるだろうかと考えてしまった。
凄まじい。富栄の思いがこの一言で多いくらいに伝わってくる。

sumikaの『Lovers』では
「男は最初になりたがり 女は最後になりたがる」と歌われているけれど、
好きな男と心中した富栄は、「女は最後になりたがる」の最たるものだと思う。
なんかもう、ただただすごい。

こんな日記もある。

ややこしいお話のようなので、紙とエンピツをお渡ししたら
「シンジテ」と「バカ」と書かれた。二人で笑う。
「バカ」という言葉は、最も嫌いなひとと、最も愛しいひとに使うことができるのだと思う。
『太宰治との愛と死のノート 雨の玉川心中とその真実』

いやすごいイチャイチャしてるなとかいうのは置いておいて、
本当に太宰は真性のクズというか女(人)タラシというか、
才能でしかないなと少し引くレベル。
情景がありありと浮かんでくる富栄の文章もすごい。

日記で見る富栄の言葉は、読者であるわたしにまっすぐ届く。
生きている時代も恋愛の形も全然違うのに、わかってしまうところが多くて、
恋する乙女はいつの時代も変わらないんだと思った。
と同時に、当たり前なのだが、富栄も普通の女の子だったんだなあとも思った。

キントンを「ええ、その位」と言って計ってもらったら七十円。オドロク。
『太宰治との愛と死のノート 雨の玉川心中とその真実』

これも日記の好きなページ。そういうことあるよね。

感情も、考えたこともそのまま見えて本当に面白い。
明るい部分、暗い部分、全部書かれているから、
本当に全て富栄が発した言葉なのかなと思うものもあるけれど、
くるくる変わっていくのが人間だし、いろんな面を持ってる。
それを全部書けるのが日記だから面白いんだなあと思ったり。

凄まじい言葉、ひとつくらいは生み出してみたいですね。


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