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SDGsの濫用

もはや一般用語となりつつあるSDGs。
小3の娘すら学校で習ってきて興味を持ったのか、図書室でSDGsの本を借りてきている。

地球で生きる我々が、今後生きていくためには絶対的に意識していかなければならない指標。

もちろん企業はこれからの世の中のスタンダードとなるであろう考え方をいち早く取り入れることで、企業のイメージアップや株主へのアピールなどにある意味利用しているとも言える。

別にそれは悪いことではない、と思っている。
それによって結果的に目標が達成できるのであれば、SDGs的には願ったり叶ったりだろう。


だが、残念ながらこのSDGsを正確に理解せずに、上辺だけで利用しようとしてしまう人がいる。
おそらく、自分では理解しているつもりなのだろうが、本質的なことが理解できていないため、こちらとしては上辺だけに見えてしまう。

ぼく自身も、娘の借りてきた本をサラッと読んでみたぐらいで、知識としてはそんなにある方ではないと思うが、それでも“何でもかんでもSDGsって言えばいいと思ってないか”と感じてしまうようなことも多いので改めて本質を考えてみたい。

そもそもSDGsってなに?

まずは用語を正確に把握してみる。
もちろんソースは安定のWikipedia。

持続可能な開発目標(じぞくかのうなかいはつもくひょう、英語: Sustainable Development Goals、略称:SDGs(エスディージーズ))は、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な開発のための国際的な開発目標。

ミレニアム開発目標 (MDGs: Millennium Development Goals)が2015年に終了することに伴って2015年9月25日の国連総会で採択された『持続可能な開発のための2030アジェンダ』(Transforming our world: the 2030 Agenda for Sustainable Development、または単に2030 Agendaとも) に記述された2030年までの具体的指針である。

出典:Wikipedia

あんまり大してわからない…どうしたWikipedia…。

まあ、娘の借りてきた本やいろんなサイトを見て、めちゃくちゃざっくり勝手にまとめてみるとこんな感じではないかと思う。

”世の中をどんな人も平等に楽しめる社会にする”
という今を良くするという側面と、”地球環境を改善して将来の子孫たちにきれいな地球を残す”という未来をよくするという側面から成り立っていると感じる。

つまりは”今も未来も大切にしようね”っていうことで、これに対して関心を持たない人はいたとしても、反対意見を持つ人というのは流石にいないんじゃないか、と思うくらい当たり前のことである。

でもこんな当たり前のことを世界的な方向性として定めなければならないくらい、我々は人を傷つけて自分の優位性を誇示したり、目先の利益にばかり目がくらんで地球の資源を枯渇させてしまったりしているという現状がある。

生きていくうえでは、どうしても短期的な事柄の優先順位が高くなってしまうのはある種しょうがない部分もあるものの、長期的な視点がなく短期的なことばかりに目を奪われていてはこのような状況を打開することは難しい。

長期的な視点を持ちながら、常にその方向を確認しながら短期的で優先順位の高いものに対処していくということを意識させるための一つの指標なのだと感じる。

わかると理解するの違い

これらのようななんとなくの全体感は多くの人が”わかっている”と思う。
でも”理解している”かと言われると怪しい。

別にSDGsの17の項目を全て覚えているかは問題ではない。
いや、覚えているに越したことはもちろんないんだが、重要なのはそこじゃない。

例えば食品ロスの問題。
日本では612万トン/年(※)ものまだ食べられる食品が捨てられているという。
日本人1人あたりお茶碗1杯分のごはんを毎日捨てているのと同じ量になるという。

その一方で、世界の10人に1人は栄養不足で苦しんでいる。
その彼らが必要としている食料は420万トン/年(※)。
※農林水産省及び環境省「平成30年度推計」より

つまり、日本人が捨てるずにこの食料を提供できていれば世界の飢餓問題は解決しちゃうという驚きの結果である。

もちろん、実際はそんな単純計算で測れるようなものではないだろうが、それにしても衝撃的なデータである。

この文脈から食品ロスというのは百害あって一利なし、というのは満場一致でその通りなのだが、だからといってなんでも食品ロスをいわば免罪符のように使うのはいかがなものだろう。

自分たちの不利益をどうにか回避したいがために、SDGsを引き合いに出しているだけで、よく考えると関係なかったり、単純にリスクを相手に負わせるだけだったりする。

本人も決して相手にリスクを押し付けようなんて考えてもいないのだろうが、本質を理解せずに使ってしまうことで相手からの信用を大きく失墜することだってあるので注意が必要である。

賞味期限1/3ルールと食品ロスの低減

実際ぼくが直面したのがこちらの事例。

食品流通の業界のいわゆる商習慣として存在する賞味期限管理に関するルール。”賞味期限1/3ルール”

簡単に言うと製造メーカーが出荷する商品は製造から賞味期限までの期間の1/3位内の商品を出荷しなければならないというもの。

一見すると、メーカーはまだ十分(2/3の期間)に賞味期限の残っている商品があったとしても、卸会社や小売へ販売することができず、廃棄=食品ロスに繋がるようにも見える。

だがこれが必ずしもそうとも限らないと思っている。

そもそも”1/3ルール”というのは、「製造メーカー」「流通」「小売・消費者」が賞味期限切れのリスクを平等に分け合うためのルールである(と思っている)。

この事例で言えば「メーカー」が1/3を超えて出荷すると、残る「流通」「小売・消費者」のどちらからがその分のリスクを負うことになる。
「メーカー」に限らず、どこかがルールを超過して商品を出荷・販売すれば、その分すべて川下である「小売・消費者」へしわ寄せがいくのである。

賞味期限180日の商品を例に取ると
・1〜60日=製造メーカー
・61〜120日=流通企業・小売
・121〜180日=消費者
で流通していき、最終消費者が賞味期限内に消費するイメージ。

もちろん、ド定番商品や売れ筋商品、新商品などはこんなに長い時間をかけて流通することはなく、製造から1〜2ヶ月で消費者の手に届くものが多い。
つまり、全ての商品に当てはまるものではないのだが、コロナ禍による急激な販売減などによりこの問題はかなり深刻化した。

製造メーカーや卸会社、小売もそれぞれで作ってしまった、仕入れてしまったものはどうにか販売しなければならないと、賞味期限間近の商品を食品ロス回避の文脈で値引き販売等をする企業も多く見られた。

そもそも、この1/3ルールは数年前にセブンイレブンジャパンが、1/2ルールに緩和する表明をしたことで業界に激震が走った。

セブンイレブンジャパン納品期限の見直し実施例

セブンイレブンジャパンHPより


特にメーカーはここぞとばかりに大きな後押しを受けて、SDGsの文脈も加わって緩和を中間流通、小売に一定の理解を求めてくるようになった。

しかし、SGDsで表明しているのはあくまで”食品ロス”の防止である。

上記のように、賞味期限リスクを分け合う構図からすると、似て非なるものであると感じている。


ひとつは、メーカー側が1/3の出荷期限を超えてしまった商品を全て廃棄している訳ではないという点。

多くの中間流通や小売は賞味期限切れリスクを嫌うため、1/3の出荷期限を超えた商品は原則倉庫側で受け入れ拒否などをする企業も多い。

当然メーカー側はそうならないように需給のコントロールをするのだが、当然販売予測が大幅に下ブレすることなど日常的にある。

そんなとき、メーカーとしてはこの在庫を即、廃棄するのではなく一定程度の割引を行って販売するディスカウント流通を利用することが多い。

いわゆる、地域のディスカウントストアや酒販店など低価格のお買い得商品を目玉とする小売へ販売をするのである。

1/3超過が直接廃棄に繋がらないのに、食品ロス削減のために1/3超過を受け入れてほしいというのはどうも説得力に欠ける理屈だ。

何より販売が予測を大幅に下回るというのは、メーカー側の商品力やマーケティング不足があったということ。

自分たちのマーケティング不足が要因のひとつでもあるのに、それをSDGsにかこつけて他の流通や消費者にリスクを押しつけるというのはどうも腑に落ちない。

むしろこれまでのように、一定の賞味期限を超えた時点で値引き等をしてディスカウント店に流れていく方が健全に自分たちのリスクを全うしているのではないかとすら感じる。


ふたつめは、最終消費者の理解向上が図れていないこと。

理解を求めるのであれば、まずは最終消費者に理解を求めるのが最優先事項である。
にもかかわらず、その手前の流通、小売へ理解を求めるのは筋違いなように感じる。

先程のセブンイレブンジャパンの事例では流通での期間を伸ばす分、消費者の期間を短くすることを明記して、しっかり消費者に理解を求める主旨であり、流石セブンイレブンといった対応。
だが、この部分を理解せずにメーカーが流通や小売を説得するための道具として使うのは意味が異なる。

食品ロスを無くすことが、世界を救うことは消費者は百も承知だが、それでも賞味期限が近い商品を同じ金額では買ってくれないのも現実。

日常の買い物でも食パンやたまご、牛乳などは1日でも賞味期限が長いものを手に取る癖がついている。

まずはその消費者の認識を改めようとしなければ、食品ロスはなくならないが、厳しい現実を前にそこを後回しに流通や小売にリスクを負わせるのは、結局はメーカー側のエゴ以外のなにものでもない。

そして、賞味期限が切れた商品を販売したとなれば、小売側のみが責任を負わなければならないわけなのだから、そう考えると公平な考え方とは到底思えない。

そうならないために、小売側は余裕をもって賞味期限何日前の商品は店頭から下げて自社が負担してロス処理を行う。
食品ロスを発生させた上、費用負担までしなければならないのだ。

ここまで考えた上で、SDGsを盾に最初の1/3の超過を認めてほしいと言っているのかと問いたい。

大体の人は、そこまで深く考えずに時代のトレンドみたいな感じで話しているし、聞いてる側も同じ温度感なのでなんとなく成立してしまうやりとりのように感じるが、本質を考えるとおかしな点がいくつも見えてくる。

相手が自分と同じ温度感ならまだいいが、これが明確に指摘されるような場合、結構な確率で信用を失うことにも繋がる。

特にSDGsのような、ただの流行りやトレンドではないものを、よく理解もせずに引き合いに出すのは大きなリスクがついて回ることを理解しておくべきだろう。

自分自身の軽はずみな発言で、信用を失わないためにも日々学ぶことと自分の頭で考えることは忘れずに実践し続けたいものだ。

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