アイデアのみつけかた
大層なタイトルだが、予め言っておくと別にアイデアのみつけかたを知っているわけでは決してない。
ただ、みんながなんとなく憧れる”日常生活の中でのちょっとした経験からの気付き”とか”一瞬の閃き”なんてものは残念ながら存在しない、ということを伝えたい。
どれだけセンスがある人でも、何もなしに急に閃くわけがない。
それなのに、なぜか自分はセンスだけで、キラリと光る閃きでヒット商品を生み出したり、斬新なプロモーションを思いつくんだと心の中で思っている人って、結構多いんじゃないだろうか。
実際、ぼく自身も割とその節があり、中高時代からちょっと仲良くなると”シュールにおもしろいやつ”みたいなちょっとセンスある雰囲気を醸し出すようなやつだった。
人見知りなのであくまでも、ちょっと仲良くならないとその片鱗すら出さず、本当にただの人見知りの暗いやつなので、結果的にはタダの根暗なのだが、その延長線上に今もあるので、そんなに大差なくセンスがあると思いたい人の一人である。
そもそもセンスってなんなんだろう。
ということで早速我らがウィキペディアを見てみる。
センス|Sense
センスは、英語で感度や五感の意味。
転じて、美的感覚や感性のこと。
才能と似た意味である。
ぼく自身の感覚的にも努力とか環境とかは一切関係なく、とにかく生まれ持ったもの才能のようなものの印象を持っていた。
そんな印象があるもんだから余計に、何事にもセンスというのは才能であり努力とかそういうのは関係なく、センスさえあれば素人でもあっという間に周りの人を追い越してしまうみたいなイメージが先行して、大体の人はそんな姿に憧れる。
努力の人だった双子の弟の代わりに高校の途中からエースとなって全国制覇をしてしまう上杉達也のように、
数ヶ月で周りのバスケ部員をごぼう抜きにしてしまった桜木花道のように、
刀を握って二ヶ月で柱になってしまう時透無一郎のように、
なぜだか自分には秘められたセンスがあるはずで、努力もなしにそのセンスで成り上がる姿をみんな夢見ている。
一般人のイチサラリーマンであるぼくの経験ではあまりにも乏しいだろうが、残念ながらそれば妄想でセンスのみで成り上がっている人など見たことがない。
そもそも、あるようでなかった閃きやアイデアはどのように生まれてくるのだろうか。
”センス”だけで足りないのであれば他に何が必要なのだろうか。
答えなどないだろうことは、みなさんも薄々感じているだろうが少し考えてみたいと思う。
何もないところに閃きは生まれない
当然だが家に引きこもっているだけで閃きは生まれない、とまではいかずとも生まれづらい。
よく漫画やドラマであるような天才的な閃きなんてものが、突然ピカーン!と思いつくことなど多くの人は経験できない。
もちろん、僕自身もそんな経験一度たりともない。
僕自身、現在のバイヤーという仕事やひとつ前の商品開発(企画)の仕事の中で、前例踏襲・現状維持は衰退であると常に上司や先輩に刷り込まれていたからか、変化へのチャレンジはかなりしていると思っている。
それでも、一瞬の閃きなんてものは全く生まれない。
常に変化を考えていても、それだけでは閃きは生まれず、ただただ悶々とした悩みを抱えるだけ。
しかし、この悶々とした悩みというのもまたアイデアには重要な要素の一つであるようにも感じる。
多くのインプットがあるから閃く
変化を模索し続け悶々としているだけではアイデアは生まれないが、全く関係ない場面での経験が悶々とした悩みと繋がってアイデアが生まれることがある。
課題の悩みが深ければ深いほど、どれだけメリハリをつけている人でも、仕事をしていなくとも常に頭の片隅で考えてしまうのが人間というもの。
頭の片隅にある課題が休日の買い物中や取引先との商談、社内会議などの中でふと繋がり、それが閃きとなる。
偶然で起こることもあるだろうが、偶然に身を任せていてはただの一か八かのギャンブルになってしまうので、閃きを生むためにどんな努力ができるか。
ぼくが考えるに、それは圧倒的なインプットの量が確率を高めるのではないだろうか。
世の中のトレンドや流行に常にアンテナを立て続け、広い分野でマーケターの考え方や顧客の捉え方などのさまざまな意見をインプットしておく。
特に課題があるときは、あらゆる情報に触れて自社の事業や商品、サービスに置き換えて考えてみるとこれまでと全く異なる見え方ができてくるというのは結構よくある話だと思う。
課題の悩みの深さ × インプットの総量
この2つを掛け合わせることで一気にアイデアが生まれる確率はあげられるのではないだろうか。
多くのアイデアはパクリから生まれる
ここまで読んで“他のインプットから着想を得る”というのがただのパクリではないかと思われるかもしれない。
まさにその通りで、パクリでいいんじゃないだろうか。
なんとなく、アイデア=今、世の中にない全く新しいものを作り出す、みたいな壮大なイメージを持ってしまいがちだが、実際は何かしらの影響はうけているもの。
よく考えたら世の中にはいろんな商品があるが、そのほとんどは何かしらを真似て作り出されたものだ。
サブスクはテクノロジーの進化でより月額制サービスの裾野が広がったというだけだし、ライブ配信の物販などはいわゆるジャパネットタカタのようなTVショッピングが根底にある。
それをパクリだと騒ぐ人はいないし、著作権等に触れなければ堂々とパクったところで、訴えられることもない。
事業規模や事業範囲、文化や人など企業はひとつひとつ違うものなのだから、何かをパクって全く同じことをやったとしても同じ結果になるとは限らない。
自分たちの事業に置き換えて考えるだけで、もうそれはパクリではなくオリジナルになるはず。
世の中のトレンドというのは必ずニーズがあって出てきているわけなので、そのニーズを分解し、自分たちの領域で活かすことはむしろ企業努力でしかない。
インプット量を増やすために出来ること
昔から、多くの成功者が読書を推奨していたりそもそも学歴が高いというのは、このインプットの総量によってビジネスにおける成功確立をあげる要因となっているのは間違いないだろう。
今となっては、インターネットの普及により、あらゆるところで発信が行われている。
このnoteやブログのようなテキスト形式もあれば、Voicyやオーディオブック、YouTubeなど音声、動画コンテンツなどインプットする媒体もこれまで読書や学校の勉強でしか出来なかったらところから大きく範囲が広がってきている。
これまでは読者や勉強がどうしても苦手な人は、インプット量が少ないことで不利に立っていたが、さまざまなコンテンツの中から自分に合った形のインプットが可能になっている。
家事育児で忙しい人もスキマ時間を活用したり、耳活などで“ながらインプット”も気軽にできるようになった。
ぼく自身読書が嫌いなわけではないが、上記のように自分に置き換えて考えながら読書をするので読むのが異常に遅いし、3人の子どもたちの相手に追われ、週末に読書する時間など皆無。
そんな中で、YouTubeやNewsPicksで取り上げられる最新の経済やテクノロジー、興味のある話題は動画や音声を洗濯しながら、ランニングしながら聴いたりしてインプットの量を増やしている。
読書の時と同じように自分に置き換えて考えながら聴くことで、自分の中での引き出しが増えていく感覚がなんとも楽しい。
もはや、ぼくにとっての洗濯やランニングは、インプットの場として貴重な時間となっており、率先してやるまでに至っている。
結果、家事分担による夫婦喧嘩は激減したし、定期的な運動習慣もできた。
さらに引き出しを増やしてばかりだと入りきらなくなってくるので、自然とアウトプットも増えてくる。
それぞれに何となくの自分の中での答えを出してしまっておく。
これを繰り返していると、突然降ってきた課題に即レスで回答できたり、答え同士が繋がってまた新しいアイデアが生まれたりもする。
この好循環によって、アイデアがたくさん生まれ、その中から秀逸なアイデアの源泉が湧き出てくるのではないだろうか。
もちろん、1人のアイデアだけで物事を進めていくより、ここで考えたアイデアを複数人で叩いて研ぎ澄ましていくほうが、より良い商品やサービスに繋げられるだろう。
むしろ、このアイデアを研ぎ澄ましていく方の作業が何倍も大変ではあると思うのだが、それでもたたき台となるアイデアがなければ、研ぎ澄ましていく作業すらすることができない。
まずは、アイデアベースでもなかなか浮かばないという人は、ただ悶々と考えるよりもなるべく多くの情報に触れてインプットの量を増やしてみることをオススメしたい。
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