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休職日記「酸っぱい葡萄と本当の気持ち」

 グリム童話に「酸っぱい葡萄」という物語がある。

 お腹を空かせた狐が、たわわに実った葡萄を見つけたが、高いところにあって、一生懸命飛び跳ねたが届かない。狐は怒りと悔しさから「どうせ酸っぱくて食べれたものじゃないんだろう、不味そうな葡萄なんか食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐いて去っていった…と言うお話。

 さて、ここからは創作だけど、狐がしばらくして戻ってくると別の狐が葡萄を美味しそうに食べていた。「どうやって葡萄を手に入れたんだ?」と尋ねると「熟して自然に落ちてきたのさ、お前も食べるかい?」と葡萄を勧められた。ところが狐は捻くれて「何を今更、そんな不味そうな葡萄はいらないよ」と断ってしまうのだった。

 自分は狐の気持ちがよく分かる。欲しくても手に入らないなら、諦めたほうが楽なんだ。でも本当の自分の気持ちに蓋をしていると、次第に本音がわからなくなってしまう。そういうことが積み重なると、次第に生きることが苦しくなってくる。だって本当は葡萄が食べたいんだもん。

出典:https://theories.jp/terms-maslows-five-step-desire/

 人には五段階の欲求があるというマズローの欲求階層説は有名だけれど、改めて眺めてみると、自分にとっての「酸っぱい葡萄」が混ざっている気がしてくる。

 一人が楽だよと強がるくせに、孤独に打ちひしがれる時があるのは。本当は「誰か心を許せる人と繋がりたい」んじゃないか?SNSのいいね、なんてくだらないと言うくせに、誰からも相手にされないとへこむのは、本当は「誰かに自分を認めて欲しい」んじゃないか?

 欲しがっても手に入らないことは多い、世の中はそんなうまくできていない、不公平で、理不尽だ。でも、自分の本当の気持ちに嘘をついて、捻くれて、世の中を斜に眺めても、生きづらさや苦しさは募るばかりだ。

 そうやって自分に嘘をついて苦しむぐらいなら、本当の気持ちに気づいて、真っ正直に欲しいものが手に入らないことを悲しんだら良い。

 一人は孤独で寂しいんだ、誰かに認めて欲しいんだ、生きがいを持って頑張りたいんだ、でも望んでもうまくいかないんだ。だから、悲しくて辛いんだ、そんな自分の気持ちにしっかり向き合っていよう。そして、誰かが手を差し伸べてくれた時にはしっかり握ろう。捻くれないで。

名もなき詩 Mr.Children

 ふと、この歌を思い出した。そんなことをふと書きたくなった、今日この頃なのです。

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