休職日記「リセット願望と新しい朝」
月に三~四日「落ちる」ことがある。何もかもがどうでもよくなって、布団に眠り込んでネットサーフィンをしながら鬱々と過ごす。きっかけは些細なことで、最近だと会社から休職中の経過報告を求められ、問い詰められているように感じた時や、つい衝動買いをしてしまって自己嫌悪に陥った時、現実逃避をしたくてベッドにもぐりこんでスマホをいじっていると、いつの間にか落ちていて、自分は「プチ鬱」状態と呼んでいる。
健康的な生活習慣を身に着け、安定して社会復帰する為に、睡眠時間、摂取カロリー、運動量など目標を定めて日々記録をつけている。活動記録をつけていると生活に「枠」ができて自堕落にならなくてすむ。日常の生活目標は積み木のようなもので、積み上げることで、自分がバラバラになるのを防いでいる。でも、根がいい加減なくせに完ぺき主義なのか、うまく積み上がらないと、全部投げ出してしまいたくなる。
こうした「リセット願望」は昔からあって、十年周期ぐらいで住む場所、仕事、人間関係を一新し、知り合いに自分が「どこで何をしているのか分らない」ようにしてきた。人には「生の欲動」と「死の欲動」があるとフロイトは言う。人は何もないところから産まれ、何もないところへ還るのだから、生が拡散なら死は収斂だ。「リセットして生まれ変わりたい」というのも死の欲動の一種なのだろうか。こうした欲動を上手に描いたのは「つげ義春」だと思う。彼の作品を読むと「蒸発して消えてなくなりたい」という人の気持ちが分かる気がする。
なんにせよ、本人が望んでいる事なのだから、プチ鬱状態から抜けるのは難しい。自堕落な生活を続けていても苦しくなるだけだ、と頭で分かっていても身体がついてこない、認知行動療法やストレスコーピングなど対処法を学んでも、実施できなければ意味がない。
それでも最近は、プチ鬱状態から抜け出し、日々の生活を積み上げ直すのも早くなった、とは思う。毎朝鏡を見れば、昨日と同じ嚙みすぎて味の出なくなったガムみたいな、うだつの上がらない休職中のおっさんが映っている。うんざりしながらスケジュールを整理し、生活目標を再設定し、「えいやっ!」と気合を出して最初の一個を積む。以前はこの一個が大変で、数週間掛かっていた。今は「苦しむことに大した意味はない」ことが最低限分かったのだろう。
何もかもが嫌になって、全部放り投げたところで、そんなことは気にも留めず日常は続いていく。苦しみたければそうすればいいが、結局同じ場所に戻ってくるのなら、リセットしたって同じことだ。幸運なことに、世界は意味もなく偶然に満ちていて予測ができない、だから、御大層な理由なんてなくていいから「今の自分のままで、やりたいことをやれ」ばいい。鏡に映った冴えない男は昨日と同じでも、世界は日々一新している。そんなことを、最近は考えている。