【飯田線各駅訪問】85 伊那北駅
伊那市や高遠地区の玄関口
ここは長野県伊那市にある、伊那北という駅。方角を示す言葉が駅名につく場合は「北長野」「北松本」と言ったように「北◯◯」という駅名になるはずなのだが、ここは「伊那北」駅である。似たような例としてJR東日本花輪線の「十和田南」、JR九州の「博多南」などがあるが、これらの駅の共通点として「元は終着駅であった」ということが挙げられよう。
実はその昔、飯田線から東方の伊那市高遠地区へ至る「高遠電気鉄道」の建設が予定されていた。知っている方がおられるかもしれない、桜や高遠城で有名な、あの伊那市高遠地区である。当駅が「高遠電鉄」の分岐駅となる予定であり、いわば「終着駅」…という予定だったのだ。しかし残念ながら高遠電鉄は実現せず、結果的に当駅も単なる途中駅となったのだった。現在となっては、その無駄に広い構内にその面影をみるに過ぎない。
それでも高遠地区への玄関口という役割は今でも続き、バスも発着している。駅舎も南アルプスをイメージした派手なものに建て替えられた。
また、当駅は近隣の伊那北高校への下車駅として、私も何度か利用したことがある。高校生としての、私の“青春”の重要な1ページにもなり得る駅だろう。
さて、この伊那北駅は、私たちを励ましてくれる駅である。何かに行き詰まって悲しいこと、辛いことがあったときがあったら、「泣きたい」と連呼してほしい。
いつしか何故か、当駅の駅名を連呼することになっていよう…。(寒)
再訪日記
「上伊那北部駅訪問旅」の3駅目として、上伊那郡辰野町の伊那新町駅から電車に乗ってやってきた。この伊那北駅へは訪問したことはあったが、伊那新町駅から当駅までは知る人ぞ知る「地方交通線最得運賃区間」の240円であるため、敢えてその区間を利用させてもらったのである。
こうして列車は伊那北駅の3番線に到着し、私以外にも多くの利用者が降り立った。私も“地元民”に成り済ましたかったので、慣れた雰囲気で車掌さんに「伊那新町から伊那北までです」とサラッと言ってお金を払おうとしたのだが、…車掌さんに「シンマチから伊那北ね?」と聞き返されてしまった。この付近の人々は伊那新町駅のことを「シンマチ」と略して言うらしい。これはやられた。
乗ってきた列車が発車して、他の乗客も駅を出ていく。こうした利用者の多い駅は、写真を撮る上で他人が写りすぎないように気をつけなければならないため面倒だが、案外みんなすぐに駅を出て行ってくれた。まぁ駅というのは本来なら旅の「道中」であり、敢えて目的地とする人などごくわずかなのは言うまでもないが。私も以前に当駅に幾度かやってきたことがあったが、その時は駅付近にある伊那北高校への用事のために駅を利用しただけだったので、本当の「訪問」はできていなかった。
こうして私の「駅観察タイム」が始まる。南アルプスの登山口として、駅舎内には登山計画書の提出を促す看板が設置されている。そう、ここ伊那市は3,000m級の美しい山々を臨む街なのだ。ちなみに高校で山岳をやっている私はそのうちの一つ、仙丈ヶ岳に登ったことがある。
一通り観察を済ませると、今度は隣の伊那市駅へ向かって、伊那の市街地を歩き始めた。私の出身である飯田の市街地と同じように、残念ながら「シャッター街」と言わざるを得ないような街並みである。しかしその道を外れて一本隣の道を歩いていくと、そこにはまた別の雰囲気があった。カフェやスナック店、さらには伊那市の名物「ローメン」の専門店など、数々の店が通りにひしめいている。まるで昭和…いや、平成初期であろうか。一昔前の雰囲気のある、なかなか面白い道だった。
そんな道を歩いていくと、程なくして伊那市駅へ到着した。この間の駅間歩きは、今までやってきた駅間歩きとは一味違ったな…なんて感じたのだった。飯田の市街地とは共通するところもあったが、「街による雰囲気の違い」を見つけ出すのを楽しむのだって一興だと思う。