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2022年 読書ノート③

5冊目。中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』
音楽好き、音楽評論好きには知らぬ者などいないのかもしれないが、この本を読むまで彼のことを知らなかった。俺は音楽好きでも音楽評論好きでもないのだとあらためて思う。ミュージックマガジンの元編集長・中村とうよう。彼の個人史については後日、『中村とうよう 音楽評論家の時代』を読んで知ることになるが、この時点では何も知らず、かえって純粋に本の内容を受け取ることができた。
そもそも、この本を手に取ったのは俺にその準備ができたからなのだ。ようやくアメリカの地図が、ニューヨークとカリフォルニアの区別がつくようになり、世界地図にはアメリカと日本だけではないことがわかってきた。そしてアジアとヨーロッパだけでもない。そういった当たり前のことが、今さらながら実感として理解出来るようになってきたのがつい最近のこと。その実感をさらに深めるために音楽をひとつの足場にできるのなら、この本は自分にうってつけだろうと思った。
読書ノートの9ページ分をこの本に使っているが、その内容はここでは省略する。ただ、通底するメッセージとして受け取ったのは、「民衆のなかのどこかに居場所があるはずだ、と言えるだけの必然性」を求めて精神的に旅をすることであり、「常識的な音楽の見方を根本から問い返すことで知的刺激を」受け取ることである。 
 
6冊目。伊集院光『名著の話』
俺は10代の頃から深夜ラジオを聴き始め、大学時代は特に「伊集院光深夜の馬鹿力」を狂ったように聴いていた。”狂ったように”と言い切ってしまうとむしろ全然狂っていないように聞こえるから言葉とは難しいものだ。俺は大学までの片道で放送1回分(CMを除いてだいたい90分)、往復で2回分を2年間毎日聴いていた。大学3年から4年にかけて、鬱が明けたか明けていないかという時期だった。伊集院光の、傷を負いながらそれを笑うしかないというような血まみれの語りが、俺にとって癒しになっていたのだと思う。だからこの本について語るときも、俺は伊集院光に対する個人的な思い入れをないことにするのは難しい。
この本では、カフカ『変身』、柳田国男『遠野物語』、神谷美恵子『生きがいについて』の3冊をとりあげている。この3冊はおそらく、青年期、壮年期、老年期という人生の時間軸に対応した構成になっている。副題は「僕とカフカのひきこもり」となっているが、それは若い人にまず読んでほしいという希望を込めてのものであるだろうし、また、"カフカの部分だけしか今はわからなくてもいいよ”という懐の広さだとも感じる。俺がもっとも感動したのは『遠野物語』の回で、それはやはり今の自分にとってはそこなのだ、と思う。10代の自意識と自分なりに折り合いをつけ、20代では他者との関わりの中に自分を開いていくことを覚え、そして30代では喪失を経ながら境界の向こうに想いを馳せるようになった。40代、50代をどうなるか、それを生きることができるかもわからないが、そのときはきっと『生きがいについて』が今以上に深く突き刺さることだろう。俺はこの本をもう1冊買って母親にプレゼントした。
 
7冊目。坂口恭平『よみぐすり』
この本は良いと思えなかった。坂口恭平のツイートはそれ自体がとても創造的かつ文学的だと思うので、それらを書籍に残しておくことには意味があると思う。しかし残し方が問題なのだ。一番の問題は時系列への無配慮である。何年何月何日の何分何秒、朝なのか夕方なのか、夏なのか冬なのか、そのとき描いていたパステル絵はどんなものなのか、そういった時間的な流れを無視することは、それがツイートであることの価値を破壊している気がするのだ。せめてスクリーンショットのように、日付と時刻さえ添えてくれてさえいればあとでこちらから順序を正しく並び替えることもできるのだが。それに、もし時系列を無視するのであれば故意に組み替えられた順序には別の意味があってほしい。その意味を俺は感じられなかった。
ただ、タイトルにもあるように、これが「よむくすり」であるとすればどんなに疲弊した状態でも読める必要はある。余計な情報を排除し、飲みやすく砕いてやる必要はある。やはり鬱のまっただなかにいる人間に向けて作られたものなのだろう。だけど、これじゃあ日めくりカレンダーだ。こういうのを、志が低い、と俺は思うんだけど。

これで7冊目。残り6冊。しかし、もう力尽きそう。

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