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2018年5月の記事一覧
地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[3]
([1]はこちら→地上の浄土と信仰のような何か[1])
([2]はこちら→地上の浄土と信仰のような何か[2])
プラのライブに行くようになってゆうに五年は超えた。四捨五入すれば十年ぐらいにはなるだろう。
それでも「来年しれっと二十五周年になる(by正さん)」彼等のロックバンドとしての人生の半分も知らない自分が彼等の成長や変化を語るのはおこがましい限りだが、僕がライブに行くようになった十年近く前
地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[2]
([1]はこちらから→地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[1])
サブカル野郎としては憎たらしいぐらいベタに、僕は以下の街を愛好している。
下北沢、神保町、原宿、高円寺、そして中野。
いわゆるパワースポットと言うやつだ。
これらの街にはひとの思念が溢れかえっている感じがする。マニアックな個人経営のこじんまりとした雑貨屋、儲
地上の浄土と信仰のような何か-五月、Plastic Tree『doorAdore』東京公演を観に行った[1]
仏教はもともとは何かに対する信仰という形すらない宗教であった。時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが、根本的には信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない。
(Wikipediaより引用)
宗教の中では仏教が好きだ。
どのような信仰も宗教も思想も、誰かに迷惑をかけるような事さえなければ自由に尊重されるのが真の民主主義なのだろうと思うの
“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [3]
([1]はこちらから→“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [1])
([2]はこちらから→“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [2])
僕は別に現実主義者でもなんでもないしがない夢追い人なのだが、永遠なんてものはないだろうと思っている。ひとはいつか死ぬのだ。ひとの「永遠」なんて、せいぜい百年かそこらだ
“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [2]
([1]はこちらから→“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [1])
会場が暗転した。この年にリリースされたシングル『Love me』をテクノ調にマッシュアップしたような出囃子と共にメンバーが現れる。アリーナ中央に建てられたお立ち台にスポットライトが四つ、人陰を映し出した。遂に来たのだ。この時が。
ライトに照らされたKEYTALKは伸び伸びと手を振
“絆と言う呪い”を肯定せよ-2017年9月KEYTALK横浜アリーナ公演を追懐して [1]
「絆」と言う言葉がこわい。
あーわかるわかる、わかるわーとお茶の間のわかり手の皆さんの優しい声が聞こえる。二十四時間テレビ的なアレでしょ?愛は地球を救う的なアレでしょ?正直ウッザイ、胡散臭さしか感じねえんだよなあ。
違う、そうじゃない。
いや、その気持ちもわかります。よーくわかります。僕だって二十四時間テレビなんか、小学生の時分から大好きな嵐がメインパーソナリティの回しか観た事ないぐらいああ言う