「子どもたちに民主主義を教えよう」 教育の最上位目標は何か? vol.579
毎週火曜日に行っている対話の先生塾、本日は読まなくてもいい読書会です。
いつもは私が本についての要約と書評をさせていただいているのですが、今回は私ともう一人の方とで、対話形式で行っていきます。
お時間のある方は是非ご参加ください。
ここでは、読み終わった現段階での私の書評を書いていきます。
民主主義とは?
最初、この本を手に取った時、正直「?」となりました。
なぜ、いまここで民主主義なのか?
そもそも日本国内においての学校であれば、散々民主義の中で育ってきたのだから、必要ないのではないか。
そう思っていたのです。
しかし、この本の中で述べられている民主主義は似て非なるものでした。
私たちが民主主義という言葉に対して抱いているイメージは、「みんなで話し合って解決しよう」、「みんなの意見を取り入れていこう」と言ったぐらいではないでしょうか。
実際にはそれも間違いではないのですが、実際のところ民主主義の本質というのはもっと高貴な意味を持っております。
本書では「自由の相互承認」と言い換えていますが、実にうまい言い換えだと思いました。
2つの選択肢のうちどちらがいいかという二項対立の中で議論をしてしまえば、当然善悪、いい悪いが出てしまいますので、多数決という名の見せかけの民主主義に走ってしまいますが、両者の意見を組み込んだ考えを作っていくというものです。
A案でもB案でもないC案を作ったり、A案よりなんだけど、B案の大事にしたいところは保持するなど。
互いに自由な選択の中で、許せる部分を見つけていく。
これこそが対話であり、民主主義ということだというのです。
その案はアウフヘーベンでなくてもいい、要は「納得」できるかどうかというところなのでしょう。
自分の生き方、在り方にもつながる
それでも、自分の主張ばかりが激しい人がいた場合にはこの考え方は全くもって意味をなさなくなってしまいます。
だからこそ、全員共通の最上位目標を定めてそこを目指すように案を練っていきます。
簡単に言ってしまえば、「何のために?」と言ったところです。
しかしこれは、簡単なように見えて実はほとんどの先生ができていないと思うのです。
何のためにやっているのかを考えるのは、これまで通りにやる作業的なやり方を手放すのが怖いからです。
だからこそあえて先生たちは自分自身を忙しくしていると言ってもいいのかもしれません。
本質から目を背けるために。
しかし、これは間違いなく自分の生き方あり方にも繋がっていきます。
なぜ、今その仕事をしているのか、なぜその働き方をしているのか。
ですから、より具体的な職場での行事などのあり方を考える視点は、自身の生き方あり方を高めていく練習にもなるわけです。
結局は若手が苦渋を飲めばいいんですか?
学校改革のためにどんなマインドを持って、どう言うふうに働きかければいいのかはとてもよく分かりました。
共感もできました。
しかし、そこを恐れ嫌う教職員も間違いなく存在しますし、多数となりますでしょう。
そんな時どうすれば良いのか、そう言われるとこの本では、敵を作らず変えられるところから変えていけとそう言っていました。
うん、確かにそうやっていくしかないかもしれません。
それが最もいい方法だとも思います。
しかし、これはやや手厳しくも感じます。
できるところから変えるのはいいかもしれませんが、教育を良くしたいという最上位目標のために、そこまでコツコツとできるとこだけをやり続けなきゃいけないのでしょうか?
目の前にはあそこをこうすればもっと良くなるのにと言った部分が見えているにも関わらず。
もっと乱暴的で言葉を選ばずに言うのであれば、時代遅れの老害、邪魔者は排除か何処かに強制送還するくらいしないと無理なほど、悪い空気や風土が教育界には蔓延ってしまっている気がするんです。
正論であることは重々承知しつつも、丸々と飲みきれないなと読み終わって感じました。
そこですらも、最上位目標を定めて自由の相互承認で対話んしていけば何とかなるよ!と言うのであれば、あまりにも無責任かなと感じました。