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自由と安全🐌 選べるのは一つ

2023.12.25 飼育していた4代目ウスカワマイマイ173匹のうち、130匹を庭の小松菜畑に放逐しました。

カタツムリを飼育しながらずっと考えていたこと。
「飼育」と「育て」
「自由」と「安全」

「終生飼育」という言葉があるように、「飼育」は命尽きるまですべての責任を飼い主が負い、お世話すること。
「飼育」とはそういうもので、飼い主から「安全と自由」が与えられている。自立なんてする必要がない。
家のワンコはよく「ペットの分際で」と私たち飼い主に言われているが、
それは「一生面倒見るからね」と同義語。「永遠の2歳児」で自立する必要はない。

一方「子育て」に「終生子育て」はありえない。
自分より下の若い世代を終生面倒見ることはできない。
だから、「自立・独立」を促す。
クリスマスのNHKテレビ「ダーウィンが来た」でヒグマやキタキツネが大事に育てた子どもを「子追い」して追い出して自立を促すシーンがあった。
生物は居心地の良い環境を選ぶ。
だから、居心地の良い環境から親世代が働きかけないと子世代は自立しない。
(我が家は子どもが親を値踏みして、親をいい意味で見限って独立してくれた。)
子育ては放り出すのが当たり前。

でもね、自分が放り出される側になって置き換えてみると
「自由だけど危険な外」vs「安全だけど一生ケースの中」
のどっちを選ぶ?と聞かれたら選べない。

どれくらい危険なの?
どれくらい自由があるの?
ケースの中の快適度はどのくらい?

どれもこれも体験してみなけらばわからないものだらけ。
体験できるのは選んだ一つの道だけ。

ましてカタツムリ。
彼ら、彼女ら(雌雄同体なのでどう表現すればいいだろう?)に聞こうにも
カタツムリに耳はある?

カタツムリハンドブックから一部切り取り

考える頭はあるか?
選べるか?

庭に放され、強制冬眠させられた130匹のウスカワマイマイ。
ケースに残され、餌を与えられて緩やかに過ごす47匹のウスカワマイマイ。

どちらが本人?たちにとって幸せかわからない。
そもそも、ほかの生き方を体験できないので比べることもできない。
選んだ、選ばれたところで一生懸命に生きるだけ。

自分のことを客観的に見る事は難しい。
ちょっと離れた視点で見たら、解決できる悩みも多々あるだろうに、当事者である自分は気づかない。
自分も選択の真っただ中にある。

生きてるものを見ているとホッとする。
それはほかの生き物の生きざまから、ふと、自分を俯瞰して見ることができるから?。

小さな小さなカタツムリ。
春から冬まで成長するさまを見せてくれてありがとう。

また、暖かくなったら、庭先からも姿を見せておくれ。

小さな小さなカタツムリ。



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