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父の命日と『強父論』

父の命日が近づいてきた。

三回忌も終わったので、今年からは暫くのんびりとした命日が過ごせそうだ。

父は頑固な上に相当なへそ曲がりでもあったので、一緒に暮らした18年間は生きた心地がしなかったものである。笑。

昭和一桁生まれの頑固オヤジに悩まされた人も少なくはないのではないか、という希望も兼ねて書きたい。


先日、父を想い、阿川佐和子さんの
『強父論』を読んだ。
男尊女卑で、瞬間湯沸器だったという、
故阿川弘之さんと過ごした日々のことを、皮肉交じりに愛情と尊敬の念を込めて書いている。

佐和子さんの皮肉さが、いいスパイスとなって、それでいて嫌味がなく、読んでいて心地がいい。


父に罵倒されようと、それでもお父さんが大好きで、心の片隅では憧れていたのだろうなぁ、
という思いが伝わってきた。

「そうそう、そう、そうなのよ〜」と終始、大きく頷きながらの読了だった。

◇◇◇

読んでいて、父とのエピソードを思い出したので、書かせて頂きたい。

人騒がせな困ったちゃんだけど、ちょっと愛らしくも思う話です。😊

◇◇◇

ある日の朝、父が体調が悪いと訴え、救急車を呼び(父自ら、笑)病院へ行った。
父はお酒が大好きだったので、
「毎晩の飲み過ぎが祟ったのであろう、40歳半ばも過ぎたことだし、念の為検査も含め少し入院しましょう。」
という医師の判断だった。

ちょうどこの時、病院はエレベーターが点検中で使えず、70キロ位ある父を看護師さんたちが数名掛って担架で三階まで運んだという。やっとの思いで運んだと、ほっとしたも束の間、一階に戻った看護師さんが目にしたのは、公衆電話で楽しそうに誰かと話している父の姿だったのだから、看護師さん達の怒りは、いかばかりのものだったか。(時既に遅しですが、娘が代わりに謝ります。ごめんなさい。)

次の日、私が学校から帰りテレビを見ながら寛いでいると、病院にいる父から電話が入った。
「サイドボードにあるウイスキーをもってこい。」と。笑。

当時10歳だったわたしは悩んだ。
持っていかなければ、父に怒られる、
持っていけば母に怒られる・・・

父は気が短い。これは一刻を争う大問題だ。
早く何とかしなければ、、
でも、どうしたらいい?
父に怒鳴られるのも嫌だけど、母に睨まれながら嫌味を言われるのも嫌だし、、、
もし、こっそり持っていったとして、病室でいつものように宴会が始まってしまったら、、? その勢いで看護師さんと
「変なかんけい」になってしまったら?
どうなるのだろうか、、??
お酒を持っていった自分の責任になるのではないか
???????????

あれこれ考えてたら、お腹が痛くなり、わたしはその日、そのまま寝込んでしまったのである。
次の日、父からまた電話があり、
「お母さん、昨日機嫌が悪くてさ〜、なんでだろう?お前たち、ちゃんと宿題やってるか?」
などと言っていた。
(なんでだろう?はこっちが聞きたい)

またその翌日、父の弟夫婦がお見舞いに病院へ行ったら、ちょうど検査の時間と重なって父には会えなかったらしい。
弟夫婦は また時間を改めてこようと、一旦家に戻ったのだけど、検査から戻った父が、そのはなしを聞くと病院から抜け出し、弟夫婦の家まで自転車を漕いで
「さっきは会えなくて申し訳ないね、検査だったからさ〜、ま、暑い日が続くけど、体調気をつけて!」と言って帰っていったというのだから、その話を聞いた母は開いた口が塞がらなかった。

「見舞いに行った人に、逆に見舞われちゃったよ、、」と叔父は苦笑していたらしい…💧

一事が万事、ずっとこの調子で周りの人たちを困らせていた父だけど、いま思えば、茶目っ気のあるユーモラスな人だったと思う。

お酒好きな父も、晩年は私たちに迷惑かけたくないと摂生し、健康管理に気をつけていた。立派な大往生であった。

きっと今頃、くしゃみをしながら、叔父さんと豪快に呑んでいることだろう。


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