寝食を共にするように、果てのない活動を
合宿明けの本日。さっそく休みなしで、いつも通りの授業に戻りました。
「いつも通り」だからこそ感じるのは、合宿前と後での、みんなに対する感覚の変化。
簡単に言ってしまえば、合宿の余韻が残っているのだろうし、手垢のついた表現をするならば、今までよりもみんなとの絆が深まったのでしょう。
あえて、もう少し丁寧にみていくならば・・・
合宿中はみんなで一つの(見えない)体を共有していたんだなぁという感じ。そして、全体でなにがしかをアップデートしてきた感!
というのも、訳あって合宿に参加しなかった子も数名いたのですが、その子らに久々に会ってみたら、なんだか違う層にいるような、その共有の体からは溢れているような印象を受けました。
(もちろんここから、全力で同じ輪の中へ取り込んでいきますよ!)
特別なレジャーやイベントがあるわけでもなく、ただ真剣に生活をしに行くというだけの合宿です。
合宿中、わたしは全員と均等に絡んだわけでもなく、たくさん関わった子もいれば、そうでもない子もいるのですが、やはり寝食を共にするって大きなことなんですね、どんな子のことも「あぁいるなと」とずっと存在を意識しつづけることになります。
意識の中に入っている。存在を認識している。
たったそれだけのことが、妙に愛おしい気持ちにさせてくれる不思議。たったそれだけのことが、ものすごい力を持っているんだなと実感しました。
(そのままを認めるって、難しいようで簡単なことなのかもしれませんね。)
ということは、寝食を共にしない日常に戻ったとしても、そうなれない誰かがいたとしても。
いきいきとその人の姿を思い浮かべて、自分の意識の中に取り込むことさえできれば、自分も相手も、不思議な力でごろっと変わってしまうことがあり得るんだろうなぁ、なんて思いました。
シュタイナー教育者はよく、「毎晩、クラスの子一人一人の姿を思い浮かべてから寝るように」と言われたりします。
難しい子、どう橋をかけたらいいかわからない子の場合は特にそうです。そうすると、いつのまにかその問題にうまく対処する身体になっていたり、問題を問題と感じなくなっていたりすることがあります。
教師の瞑想。さんざん聞いたこの表現にも、物理の力を借りてやっと、わたしなりのあたたかい血が通ってきました。
しかも、この瞑想には果てがありません。だからこそ、色褪せず、生きたものになると言えるのでしょう。
せっかく命ある存在なのだから、思いっきり生きたいな〜。
星周り的にはいま、内観や学びがテーマの旅をするのにぴったりな時期(わたしにとって)だそうですが、一つ確かなことを学べてよかったです。
サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡