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ゆっくりしか進めないことをわきまえているもの

この間、お散歩していてふと思ったことを書きます。

本当に大事なことって、言葉にするとどえらいシンプルで、逆に嘘くさくなるくらいですよね。でも、その大事なことを自分のものとするまでには、きっととてつもない時間がかかります。

例えば、「人に優しくしよう」とか「人の良いところを見よう」とか、当たり前といえば当たり前なのに、そうするのが難しいこと。下手したら、一生かけて、あるいは何回か生まれ変わって、やっとものにできるのかもしれません。

そう考えてみると、わたしは何かを習うとき、継続することをサポートしてくれるものにお金を支払いたいと思いました。書道や茶道のような、簡単には終わらない道をこつこつ歩んでいくイメージ。お稽古系の習い事は、価格も継続しやすいものになっていると思います。

一方、短期集中系のものは、事情があって急いでいるときには大変便利ですが、その分お値段もします。早くアイテムがそろう代わりに、自分のものにするところ、つまり継続に関しては自分で管理する必要があります。

自分のこれまでを振り返ってみても、その、継続する部分のなんと難しいことか。習ったことを、いつのまにか忘れていたり、いつのまにかやらなくなったりしています。

逆にいうと、習ったことをいつまでも追いかけけ、携わっていられるものは、人から見れば「努力」に映っていても、自分の中では好きでやっているにすぎなかったりします。ゆっくりしか進めないことをわきまえているものです。

ゆっくりしか進めない領域のもの、それを導いてくれる人や場も、できるだけ長く続いてほしいと思います。自分がどれだけの対価を受け取ったかじゃなくて、その人や場を支えるためにお金を払おうという感覚。

だんだん何が言いたいかわからなくなってきてしまいましたが、

とにかく、自分にとって必要なもの・本物だと思えるものは、そういった、ゆっくりしか進めないものの中にある、と思いました。

今後は、間違って余計なものに大枚を叩いてしまうことがないようにしたいです!

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