モーニングコール(短編小説)
大型連休の中の平日の明るい雨天の夜明け頃だった。
昨日の夜に退屈すぎて二十時に寝たせいで早く目が覚めた僕は部屋の窓を開けて雨の音を聞きながらフォークナーの長編小説を読んでいた。
年度末の新人賞の締切を終えて久し振りに読書するには骨のある小説で随分楽しい読書だったが、窓から流れ込んでくる東京の湿気と一九三十年代初頭に書かれた南北問題はまるで関係がなかった。
それは僕が十代の間に海外文学を好んで読んだ理由だとも言えた。
僕は今は二十二歳だった。
まだ大学生で、通う大学には留年制度がないから何年生なのかも分からなかった。
一年生の語学も二年生の必修も四年生の卒業論文もやる必要があった。
ただ確かなことは、僕は長編小説を書いた後で、酷く個人的な人間になっていて、暫く何も書くことがない以上、何も判断する必要も考える必要もないということだった。
今に楽しみなことはドジャースに移籍した大谷翔平が日本時間の朝に最高のホームランを打つことだけだ。
東京メトロの始発が出る三十分前に僕は中高の同級生に電話を掛けた。
彼は僕が落ちぶれたエリートコースを歩んで今年の春から一流の商社に勤め始めた。
今日から貿易に力を入れている南アフリカ共和国に新人研修出張に行くというので、空港での集合に遅れないように僕にモーニングコールを頼んでいるというわけだった。
十二歳からの友達が今はそんなことになっているというのは掴みようがなかった。
彼のイメージは寝癖にWEGOで買ったパーカー、それが彼の一張羅だった、それを着ていて、育ちの良い幼い頃からの習慣で九時には眠くなるところから何も変わっていない。
彼は僕が連れ出すまでマクドナルドに行ったことがなかったしコーラも飲んだことがなかった。
彼に電話をかけると彼はもう起きていたようで三コール目で取った。
お前に起こしてもらうのは高校二年生の期末試験以来だ、と彼は言った。
出席がヤバかったからテストには行かなきゃいけなかったんだよな。
俺が電話かけるために電車乗れなくて遅刻したから結局は俺が赤点だったんじゃねえか、まあいいや、頑張れよ、じゃ、また連絡してくれ。
そうして電話を切って彼はアフリカの南端の国に向かっていった。
あのイギリスの帝国主義と人種問題の最果てに彼は先進国の資本主義の最果ての労働者として向かう。それはフォークナーぐらい僕には関係がなかった。
彼の声を年末の飲み会以来に聞いたせいで僕は思い出さなくていいことを思い出した。
二○十七年の強い台風と強い台風の間の晴れた夏の深夜に代々木公園の渋谷側の広場のステージで僕は彼女を待っていた。
僕は彼女に何から何まで話してしまうつもりだった。
彼女がそれに対して僕の欲しい言葉をくれないことは分かっていたし、それを僕は求めていなかった。それが僕のくだらなさだった。
彼女に僕を預けてしまいたいだけだった。
そして彼女は来なかった。なぜなら約束も出来なかったからだ。
その帰りに僕はセンター街のファミリーマートでストロングゼロを買おうとして年齢確認をされて買えなかった。
まだ外国人の少ない年代だったが深夜の渋谷は生ゴミと酒と香水の匂いがして紅い顔の誰もが大声で話していた。
カラスが低く飛んで太ったネズミが走った。その最中を歩いた。
孤独主義もくだらないし他人に繋がりを求めるのもくだらなかった。
何もかもがくだらなくて、何より自分が一番くだらない、という単純で一般的な十代の問題に僕は真剣に幻滅し、真剣に腹を立てた。
僕は南アフリカ共和国に向かっている彼が、四年前に高校を卒業する時に言っていたことを思い返した。
信じらんねえよ、なあ、卒業したらまた十二歳に戻るんじゃねえの。
結局僕らは何事もなく高校を卒業してコロナ禍で去勢された日々を過ごし、今では全く互いに関わりのない生活を送っている。
僕は十二歳には戻れなかったけれど、大体十六歳が抱えている問題を今でも抱えている。
ただ僕はあの頃と違って全てから距離を取って全てを留保する処世術とも言える癖がついただけだ。
しかし今の僕は二十代で、何より今日は区役所に行って年金の手続きをしなければならない、それだけのことで、そしてそれが慰めであるかも今日の僕には判断する必要がなかった
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