好きでも嫌いでもないもの。
「先生の好きでも嫌いでもないものは何ですか?」
ある日の給食の時間。1人の生徒がこのような質問をしてくれた。
「うーん、何だろう?・・・ちょっと待ってね」
さて、困った。
今まで好きな食べ物や嫌いな食べ物を聞かれることはあったが、好きでも嫌いでもない食べ物を聞かれることはなかった。
好きでも嫌いでもない食べ物か・・・うーん。
何か良い答えがないか考えていると、質問をした生徒が先に答えてくれた。
「僕はね、ソフトテニス部!」
予想外の回答に驚いてしまった。
「えっ、食べ物じゃなくてもいいの?」
「うん、全部の中で」
さて、もっと困った。
なぜソフトテニス部のことが好きでも嫌いでもないのか、理由を聞くのを忘れるほどに困った。
考えたこともなかった。
この世にあるものの中で、好きでも嫌いでもないものなんて何があるだろう?
「うーん、冥王星とかかな」
何とかひねり出した答えが冥王星だった。冥王星好きの方、ごめんなさい。
とりあえず、質問してくれた生徒は「なるほど!」と納得してくれた。結局何が聞きたかったんだろう?
給食が終わってからも、私は好きでも嫌いでもないものについて考えていた。
もちろん、「冥王星」というややスベりの答えしか出せなかったことが悔しかったというのもある。
でもそれ以上に、「好きでも嫌いでもないもの」という発想が、とても面白かった。
好きな人、好きな場所、好きな食べ物など、好きなものがいくつかある。
その反対に、嫌いなものもある。
自分や他人を知る上で、何が好きで何が嫌いなのかはとても重要だと思う。
だからこそ、プロフィールとして聞かれるのは、好きなものと嫌いなものになってくる。
でもきっと、好きなものと嫌いなものよりも、そのどちらでもないものの方が、はるかに多く存在している。
それなのに、好きでも嫌いでもないものを意識したことがほとんどなかった。
好きでも嫌いでもないものには、何があるだろう?
例えば、電車で同じ車両に乗っている人。
通勤や買い物の交通手段として、電車をよく利用する。でも、同じ車両に乗っている人に好き嫌いの感情を抱くことはほとんどない。
たまにマナーが悪い人がいると、嫌悪感を覚えることもあるけれど。
例えば、コンビニの商品。
目的の商品を探して、購入するまでの間にいろいろな商品を目にする。でも、それらを1つ1つ好きか嫌いかの判断をすることはほとんどない。
たまたま目に入った商品を「こんな商品もあったんだ!」とを好きになることはあるけれど。
全てが嫌いなものだったらなんて、考えただけで恐怖しかない。
でも、全てが好きなものだとしても、私はきっと耐えられない。
それは、この世界と向き合い続けなければならないということだから。
誰と会っても、どこに行っても、何を見ても、心が動かされ続ける。
幸福が心を満たし、あふれて、疲れてしまう。
でも、好きでも嫌いでもないものがあるおかげで、自分と世界はほどよい距離感を保つことができる。
お互いに存在を認め合いながらも、干渉しない。
世界から孤立することなく、それでいて一人になることができる。
だからこそ、「好きでも嫌いでもないもの」は、「どうでもいいもの」とは違う。
あってもなくてもいいというものではなく、ないと困るもの。
私は、生徒が好きなもの、楽しいもので自分の授業を埋め尽くすことができればいいのにと思っていた。
もちろん、そんな理想的な授業は実現できていない。
でも、その理想は、生徒にとって負担になるのかもしれない。
好きにならないといけない、楽しまないといけない授業より、気軽に受けられる授業がいい。
ぼーっとしていられる時があって、
友だちと意見を交わせる時があって、
先生のよく分からない話を聞かないといけない時がある。
好きと嫌い、そしてどちらでもないものが混ざっている。
「授業好き?」と聞いたら、
「うーん、好きでも嫌いでもないかな」と答えてもらえるくらいがいい。
それくらい安心して受けられる授業を作っていきたい。
「ちなみに、好きか嫌いかで言ったらどっち?」
「まぁ、好きなんじゃない?どちらかと言えばだけど」
追加で聞いて、こう答えてもらえたらうれしい。
やっぱり、ちょっと欲が出る。