【理屈と膏薬】手洗いイズム
「理屈と膏薬」とは、屁理屈をこねにこねまくるエッセイのシリーズです。今回は、手洗いうがいについてです。よろしければ、最後までご覧ください。
家に帰ってきて、手を洗うために洗面所に行く。じゃぶじゃぶと手を洗いながら、リフレッシュした頭で冷静に考える。別に今、手を洗わなくてもよかったんじゃないかな? 手洗いうがい。いつの間にか身に付いたこの行動に、疑問が湧いた瞬間だった。
休みの日はよく散歩にでかける。一日中家にいると、何だか頭にモヤがかかったようになるので、気分転換のために外に出る。本当は何も持たずに行きたいけれど、何かあったときのために、スマホはズボンの左ポケットに入れておく。考え事をしているときは、お気に入りのメモ帳とペンも右ポケットに入れる。持っていくのは多くてもそれくらい。
外の空気を体内に取り込みながら、決まった散歩道を進む。家の周りをぐるっと一周、約30分。途中、公園のベンチで休むこともなく、コンビニでお菓子を買うこともない。ただひたすら足を前に出すだけで、心も体もスッキリする。
外から家に帰ると、当たり前のように手を洗い、うがいをする。帰ったらすぐ手洗いうがい! コロナ禍よりもずっと昔、物心ついた頃からの習慣。冬は水が冷たいから嫌だなと思うこともあるけれど、しなかったらしなかったでムズムズする。それくらい自分に染みついている。
でも最近、散歩から帰ってきたくらいなら、手を洗わなくてもいいのではないかと思うことがある。だって、散歩の途中、外の物に触れていないし、誰とも話していない。自分は家にいたときのまま、外で30分過ごしただけ。
いやでも、外の空気には触れているでしょ? と言われるかもしれない。確かにその通り。だからこそ、外から帰ると手を洗いたくなる。けれど、外の空気に触れるのは、必ずしも外にいるときだけではないはず。家の中で窓を開けて、空気の入れ換えをするとき、私たちは外の空気に触れる。でも、換気をしたからといって、手を洗おうとも、うがいをしようともならない。そう考えると、散歩で外に出ても空気にしか触れなければ、手洗いうがいをしなくてもいいのでは? と思ってしまう。
あっ、でも家の外側のドアノブには触れているか。それなら手袋をしていればいいのかな。いや、反対に、換気をしたときにも手洗いうがいをしないといけないという可能性もある。それはちょっと面倒くさいな、うーん……。
これからも私は、散歩から帰れば手洗いうがいをするし、換気しても手洗いうがいはしないと思う。散歩と換気では、空気の触れ方に科学的な違いがあるのかどうか、私には全く分からない。ではなぜそうするのか? と聞かれたら、そういう習慣なのでとしか答えることができない。