力を抜くことは、諦めること
力を抜くことは、諦めることだと思う。いつの間にか抱えていたもの、こだわっていたものを諦められたとき、自然と体の力が抜けていく。
「もっと肩の力を抜いてリラックスしよう」と職場の先輩に言われて、そんな甘い言葉には騙されないぞ、と思った。仕事で力を抜いたらきっと、「なにサボってるんだ!」って怒られる。
何にでも真面目なところが、自分の取り柄だと思う。勉強も運動も才能はないが、コツコツと努力するのは得意だ。だから、成果が出なくても、両親や先生から「頑張ってるね」と褒めてもらうことが多かった。
けれど、大人になるにつれて、真面目すぎることは心配され、注意されるものへと変わっていく。大学生になりアルバイトを始めてからは、「もっと肩の力を抜こうか」とよく言われるようになった。力を抜く? 手を抜くとは違うのだろうか? そもそも精一杯仕事をしていることの何がダメなのか分からない。今まではそれが良いこととされていたのに。
大学を卒業後、中学校の教員として働き始めた。「全ては生徒のために」という正義が浸透した世界で、力を抜くなんて許されないと思っていた。
教師はよくブラックな労働だと言われる。それでも、国や都道府県、各学校が工夫して労働環境の改善を図っている。社会人1年目の私が勤めた学校が、一般的な感覚からしてブラックだったのかは分からない。しかし、力を抜いてはいけない、休んではいけないという思い込みが、自分を悪い方向に追いやったのだと思う。
結局、私は1年で疲れ切った。教員を辞めるという選択肢もあったが、生活するためにはお金が必要で、他に何かできるとも思えなかったから、今も非常勤講師として中学校で働いている。非常勤講師とは、パートタイムで働く教員のこと。以前よりも時間的な余裕もできて、立場的にも力を抜きやすくなった。心身ともに不調になって、今改めて肩の力を抜くことの大切さを感じている。
もし、今の自分が当時(社会人1年目)の自分にアドバイスできるなら、「もっと肩の力を抜いて」と言うつもりだ。でも、真面目に頑張ることしか知らない私は、「仕事で力を抜いていいわけないよ」と言うだろう。それなら、しっかり相談に乗ってあげないとね。
「そっか、もっと頑張るの?」
「そりゃあ、まだ何も上手くいってないし、できないことばかりだし」
「まあ確かに、もっと頑張れば上手くいくかもしれないけど。じゃあ、具体的にはどう頑張るの?」
「え、それは、うーん、分からない。とにかく頑張るしかないかな」
「はあ、君はろくに体力もないのに、そういうところ根性論で済ませちゃうね。何もかも片っ端から頑張ればいいと思ってる」
「だって、今までそうやって生きてきたから」
「でももう、何から頑張ればいいのか分からなくなってるでしょ。目の前のことに必死で、何も見えなくなってる」
「・・・・・・うん」
「疲れて動けなくなるよ」
「・・・・・・力を抜くってどうすればいいの?」
「力を抜くことは諦めることだと思うんだ。そうだな、まずは職員室で無理に愛想良くするのを止めようか。他の先生たちと良い関係を築きたいのは分かるけど」
「でも、職場で嫌われたくない」
「どんなに頑張っても嫌ってくる人は嫌ってくるし、そんな人たちは君の努力も認めてくれない。第一印象で苦手だなと思った人と仲を深める余裕は、今の君にはない。仕事の話はしっかり聞かないと困るけれど、個人的な自慢話は参考にならないから聞き流しておけばいい。何でもかんでも笑顔で応えなくていいよ」
昔から、人間関係が上手くいかずに悩むことが多かった。そんな人がどうして教師に? と思われるかもしれないが、同じような悩みを抱えている先生は一定数いると思う。生徒、保護者、教員、地域の人、などなど。苦手な人間関係を全て上手くやろうと欲張れば、体が固まって動けなくなる。今まで20年以上できなかったことは、大人になったからといって、社会人になったからといって、急にできるようにはならない。
力を抜くことは、自分が抱えていたもの、こだわっていたものを諦めることだと思う。精一杯頑張ることが癖になっている人は、リラックスしてもまたすぐに力が入ってしまう。細かいところが気になって、気にしないようにしていても緊張してしまう。完璧主義なのかな。
だから、しっかり意識して諦める必要がある。それは一生ではなくて、一旦でいい。一旦諦めて余裕ができれば、対策を考えることもできる。
もちろん、時には疲れ果てるまで、力を入れ続けないといけないこともあるのかもしれない。というか、きっとある。でも、自分の力は無限ではないから。必要なときに十分な力を発揮するためにも、疲れてきたら「今はムリだー!」って、諦めることも大切だ。
焦らず欲張らず、ちゃんと諦めてください。