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本棚の経緯・前編

 ふと見たくなった写真がありSDカードのデータを探っていたら、文庫のスタメンを揃えたときの画像を見つけたので本の話を。それにしてもこのラインナップ、両端はお勉強用(面白かったけれど)だし、大学までのもので今だと交換したいものもあるけれど(少なくとも谷崎潤一郎の刺青と横光利一入れたい)、やはり見ているだけでにやけてくる。自己満足の極み。

 短編が好きで、新しい作家の作品に挑戦するときはほぼ必ず短編から入ります。というのも、短い分、その作家の興味や視点、問題意識の核がつかみやすく、ちょっと合わないなという場合でも通読はできるし、ハマれば色んな時代のを読んでいって思考がどう変わっていったか、有名な長編があれば、それがいつの時期のもので一連の作品の中でどういう位置を占めているのかが分かり、好きな作家について立体的な情報を蓄積できるし語れるようになる、のが楽しいからです。

 ただ、本自体好きになって自分から進んで読むようになったのは小学校の3,4年生頃、シートン動物記と黒ねこサンゴロウシリーズがきっかけで、そこから母に勧められてミヒャエル・エンデシリーズ、からのライラの冒険と指輪物語へ。ゲド戦記に挑戦する前に一旦ファンタジー熱は冷めるものの、中学から友達の影響で大慌てでハリポタを履修したところ、翻訳版に追いつき・追い抜く(5巻から洋書をかじる)。ジブリ映画化の噂を聞いて読んだハウルの動く城の原作にもハマったり(おかげでジブリ版が好きになれなかった、、)。という感じで長いことファンタジーの世界に浸かってました。

 そこから画像の本棚になったきっかけは、高校時代、Z会教材の中での安部公房「赤い繭」との出会いです。非現実的なストーリーなのに、何か当時は言語化できなかったものの、まるで自分がそれまで経験したことがあるような、既視感のようなものを感じて驚き、この人の作品をもっと読みたいと思うようになった。それで短編集を次々読む中で本棚の2冊が特に気に入った、というもの。そんな高校時代には、センス抜群の友人から村上春樹訳のキャッチャー・イン・ザ・ライを借りてアメリカ文学にハマりだし、国語の教科書に載っていた萩原朔太郎(の「死なない蛸」そのものへのやはり既視感的な共感、詩の字面の美しさ、と写真)に惚れ、ということで次第に好みが形成されていくことになりました。

 また続きはそのうち。

#わたしの本棚

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