大怪獣のあとしまつから感じた怒りのアイロニー
パンデミックの風景が題材となりつつあった頃、ぼんやり「三木監督ならどう描くかなあ」と通勤電車に乗っていた時に目にしたのが本作品の予告で、まあテンションぶち上がったのをよく覚えています(※勝手に思っただけで、実際にはコロナで撮影が延びたそう)。巷にあふれる酷評に驚きながら結局観たのは昨年夏の留学直前でしたが。
個人的には、感じてるけど言語化しきれずできても言いづらい、みたいなことが次々と映像で提示される感覚があって、ありがたい面白い作品だなあ、という感想です。作品は意図してないかもだけれど、ネタの辛辣さに結構笑えなかった場面も多いので、コメディとしての面白いとはちょっと違う。
前提として当方のポジション
三木聡監督作品が大好き
・ 「熱海の捜査官」ではまり、「転々」がインセプションに次ぐMy 2ndベスト映画
・ コメディ・脱力の面白さ、もあるけれども、というより、提示される切り取られた(+誇張された)日常・人生の一場面/心情がディテールに富んでいて刺さる
・ テーマが比較的人間関係そのものにない(と感じている)ため、没入しやすい
・ キャスティングから伝わるものが多い
怪獣映画に思い入れがない
なんならあまり見ないジャンル。(限られた例として、「シン・ゴジラ」は就活中に勧められて観た経緯もあり、お仕事映画として楽しみました。「ゴジラ・シンギュラポイント」は、円城塔×ボンズの作品として大好きです。「シン・ウルトラマン」の面白さは分かりません。)
アイロニーが辛(から)すぎて笑えない
コロナ禍を描いているものという解釈をしていたものの、どちらかというと原発関係だとか。政府の危機管理・対応のまずさの風刺、だけでなく、ハリウッドのパニック映画あるあるを誇張したようなシーンから、非日常の集団心理の危うさ?異常さ?もちょくちょく刺しているところがあるように感じてそれが巧妙だなと。特に序盤の警報サイレンをわざと鳴らす趣味の悪い冗談のシーンは、パンデミックについて戦争のアナロジーを使ったり、政府の監視強化の必要性を訴えたり、コメンテーターが何かこのお祭り騒ぎに乗っかってる感じだったり、といった状況と、数か月後の飽きの空気とのギャップが思い出されて、よくぞ表現してくれはった!と感動してました。この辛辣さは、監督もあの感じにイライラしてたのかな、と勝手に想像したり。
怪獣<希望>、銀杏臭、閣僚会議のギャグの応酬、物理的に報道陣にもみくちゃにされる図、は、妙にリアリティのある(手続きのリアルでなくその本質として)シニカルなネタのオンパレードで、笑えない(笑)。そして、あの俳優陣であのテンション・ギャクの質で誇張されたばかばかしさがさらにそれを引き立ててた、んですよ。
エンディングは突然でフリーズした数秒後、子供の頃からのツッコミが映像化されたやつや!!!と小躍りしたもの。インタビューで取り上げられていたのはつい最近知りました。
テーマのみえづらさがこの作品の色とみた
少なくとも、プロデューサーのインタビューにある、ユキノ・アラタ・総理秘書官の三角関係はほぼスルーして観ていました。それにしても、結局なにも解決しないヒーロー(三角関係はむしろこれの一要素?)、というのは、危機状況下のあれこれの皮肉ネタの中にもきれいにおさまっているとみた。
これまでの監督映画作品に比べてテーマがややみえにくい、ばらけているように感じたのは確かで、答え合わせ的なエンディングに加えて、内容もかなり説明的な作品だと感じた「俺俺」(2013年亀梨和也主演)で夢オチと言われるのであれば、今回のレスポンスも若干納得がいくところもある。
ただ、もし、明らかな実際の出来事ベースの政府対応の風刺がストレートに分かりやすく提示されていたら、それこそ令和の時代の映画としてダサいしつまらないんじゃないかと。焼肉屋の煙はいつもの感じのネタとして、強烈な下ネタや唐突な不倫設定などは、風刺の雰囲気をぼかすことで、プロパガンダにならないよう全体の作品のテイストを調整する、混沌とした感じを盛り上げる役割を担っているのでは?と邪推しています。
三木監督の他の作品に比べて特に好きかといわれるとそうではないけれども、それは、時効警察にちりばめられたような温かい人間観察的な小ネタが少なく、辛めのアイロニーのジョブを頻繁に食らう刺激の強さからであって。各シーンから受ける印象の好き嫌いはあったとしても、キャッチフレーズが悪目立ちしたのもあるだろうけれども、個人的には、この作品をゴミだ失敗だというのはあまりにも色々なものを見落としているような気がするわけです。作り手がどこまで意図しているかどうかは分からないけれども、お金と手間と技術がしっかりかけられたディテールに富んだ映画として、解釈・批評を十分楽しめるものだと思うのです。