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こんにちは。アイシーティーリンクの平井です。

今年の野球のシーズンも大体終わり、残すはポストシーズンを残すのみとなりましたが
大谷選手は今年も凄かったですね。
投打ともに規定到達してて成績もトップレベルってどうなってるんですか。
元プロ野球選手の古田さんから見てもとてつもないらしく、
最早進化した人類だそうですw


球界では他にも山本投手(オリックス)や村上選手(ヤクルト)あたりも凄いですが、
他の業界となると将棋の藤井五冠もそのレベルじゃないかと思います。
という訳で糸谷棋士の藤井五冠(当時二冠)に対する評価

A級棋士からみても「積んでるエンジンが違う」とかどうなっているんでしょうね。

という訳で今回は進化の理由について考察(妄想?)したいと思います。

個人的に気になったこととして、
雑誌Numberの将棋特集をしていましたが、
その中で藤井五冠の強さについて取材した何人かの棋士に対して
「また藤井と対戦したいか」
という質問をしたそうです。
答えは全員イエス、しかも即答だったそうです。

自分より優れた相手と対戦すると負ける確率は高くなりますが、
それでも何故対戦したくなるかというところから考えます。
メリットについて考えると、
「自分に足りないもの」
に気付けるということだと思います。

自分に足りないものというのは足りないが故に
自分自身で気付くのは自分自身だけでは難しいことだと思います。
自分より実力が上の人が周りにいれば教わることも可能ですが、
トップ棋士となるとそれを超える人というのはなかなかいません。
そう考えた場合、目先の勝ち負けよりも自身の強さを求めるなら
藤井五冠と対局したくなるというのは自然なことなのかもしれません。

では逆に昔の人のほうが何故勝ちにこだわるかというところを考えてみます。

原因は人口に対して食糧生産力が低かったためと推測します。

昔のように人口>食糧の世界の場合、どんなにお金があっても食料が買えるとは限りませんし、
話し合いをしたとしても結局誰かが犠牲になることになります。
そうなると戦争にって人が死ぬことが経済的に合理的になってしまうという
現在の価値観で考えるととても怖い世の中です。
この場合敗北=死につながるため、どうしても勝たなくてはいけません。
「自分に足りないもの」に気付くためのリスクが「死」となると、
とても受け入れられるものではないですよね。
昔の将棋でも負ければ死ぬほど厳しくはありませんが、
無意識に敗北=死を連想してしまうので勝利を優先したのではないかと思います。

まとめると、生存と成長を比較して
昔は生存を優先しなくてはいけなかったが
現在は成長を優先できるため、
種族として進化したと思えるほど成長できるようになったのではないか
というのが私の仮説です。

そんな訳で現在生きている皆さんは
失敗を恐れずいろんなことに挑戦して
自分自身を成長させるチャンスを増やしたほうが良いと思います。
小さなことでも今までやったことないなら
やってみる価値はあると思います。
将棋で例えるなら、
勝ちやすそうな手より
先が読みずらいけど面白そうな手を優先してみるとか
そんな感じですかね。

以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました。

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