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まほろばから遠く離れて

この異郷の塔からは、まほろばもながめられた。不確かだった時間に鐘が響き、あたりの空気をひやした。春らしさも夏らしさも感じとれないこの異郷は秋か冬だろうが、季節と呼ぶにはあまりにも空気がよそよそしい。

冷たいアウラに包まれながら見下ろし、目線を落として見る懐中時計がしめすのは午前のような午後、根拠はないが区切りの時間の気がして、マグリットは階段を降りた。

広場に出ると、いきなりギリシャ彫刻が規則正しく一〇メートルごとに突っ立って、その列にアポリネールのシルエットが絡んでいた。長い影の反対側に陽光が位置するはずだが、建造物に隠れているらしく、一度も見えない。

広場を仕切る壁の向こうに灯台と幌の上が覗けていたが、そこに海があるとも思えなかった。帆は、けれども確かにはためいて、よく見るとわずかずつ推進しているようでもあるようにマグリットには見え、こんなところにこんなものがあることに心を打たれた。



音のない蒸気機関車が無風のなかを走り抜けた。午前のような午後を示す時計が嵌め込まれた駅らしき場所には誰一人いない。そのような景色に蒸気機関車が通過してみせることにより、かろうじて駅らしさをうそぶいているかのようで、その空虚な荘厳さになみだが流れた。

人がいないのはそのとおりで、ただ人影はいくらか目についていた。だが完全なる無音である。チェス盤のような模様の床が食い込んだ建造物に近づくと、斜めにたれる緞帳が作り出す三角形の入り口をくぐった。不確かな奥行き。

奥行きも謎のままではあるが、オリエンタルなアウラを帯びているとはいえそうだった。ギリシャやエジプトをも含むオリエンタルな感触。それならばオリエンタリズムと呼んでも差別だと石を投げられることはないのではないか。

マグリットはそのようにかんがえながら、奥へ進んだ。進む先にかたちはあれど、かたちに宿る意味は剥ぎとられ、進むに従ってもはやオリエンタルでさえない。形而上このうえない抽象の極限へと奥をゆかば、己の水底に近づいていけると信じ込み、いつしかまほろばへもどる理由も蒸発していった。

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