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現実との「つながり」が失われるところに、「儀式」化のパワーが生まれる

小島雄一郎さんの「分析資料と、分析っぽい資料の違いについて。」という記事を読んだ。

「課題を可視化」したり、「整理」したり、「進むべき道」を示したりするために、フレームワークを使った分析資料がつくられる。でも、しっかりシャープに分析したものもあれば、「分析っぽい資料」にとどまっているものもある。

その違いはどこにあるのか? 「分析っぽい資料」にならないために、どんなことに気をつける必要があるのか? という話。

いろいろと考えさせられる。

「儀式」化するフレームワーク

「答えに近づこう」という意思のもとに」つくられる分析資料と「「とりあえずやっておこう」という意図のもとに」つくられる「分析っぽい資料」。

その2つを隔てているのは、フレームワークの「儀式」化の有無だと思う。

「儀式」化した会議では、アジェンダに「あたかも効果的な会議であるかのように演出する」力がやどる。

これと同じように、フレームワークのハコの中に、とりあえず「今ある事実を、適当に切り取って羅列しただけ」なのに、そこに取り組んでいる課題がキレイに整理されたり、進むべき道が見えるようになったりする(気にさせる)力がやどる。


それが何であれ、ある行動が、その行動そのもの以外の(象徴的な)意味を持つようになると、「儀式」化する方向に進むからだ。

神社で、手を洗い、口をゆすぎ、本殿まで歩いて二礼二拝一礼する、という行動が、「俗世のケガレを落とし、聖なる/清なる中心に向かい、聖なる存在と向き合う」という意味を持つように。

「アジェンダ・シアター 〜 「儀式」化する会議のメリットとデメリット」

小島さんの記事に書かれている、「フレームワーク好きになる」という「最も危険な傾向」とは、そうした「儀式」化の力に目をくらまされる状況から生まれてくるのだと思う。

「適当に切り取って羅列しただけ」の行動なのに、それが権威づけられ、パターン化されることによって、「語られている現場の(多くの場合、ものすごくゴタゴタした)問題や課題をスッキリと明らかにし、解決の道すじを探し出しているかのような錯覚を与える」ことになる。

フレームワークの背後にある2つの意思

フレームワークを使った資料は、「視点の並び」「視点同士を結ぶ矢印」の意味に目を向ければ、すぐに「分析資料」なのか「分析っぽい資料」なのかが分かると小島さんは語っている。

同じような見た目をしていたとしても、その資料が「答えに近づこう」という意思のもとに作られているか、「とりあえずやっておこう」という意図のもとにつくられているかは、細部で判断できたりするものだ。

「とりあえずやっておこう」と、単に仕事を「こなす」意識でフレームワークが使われているのなら話は簡単。

しかしやっかいな状況も起こりうる。

見た目としては「とりあえずやっておこう」的なハコの並びや意味づけにみえるけど、資料をつくった本人には「答えに近づこう」という意思があった、ということもあるからだ。

リアルから遠ざかることが「儀式」化のパワーを生み出す

マネジメントクラスのレポートを読んでいると、まったく同じケースで、まったく同じフレームワークを使って分析しているのに、ぜんぜん結論が違うことがある。

あるレポートでは大筋を押さえた大局的な結論が導きだされている。しかし別のレポートに示されているのは、大筋から枝分かれした道すじの、さらに脇道に入ったようなポイントのみ。

なんでこうなるのか考えてみると、後者の場合、「答えに近づこう」という意思はありながらも、フレームワークの「儀式」パワーに引っぱられているからなのだと思う。

小島さんの言葉を借りれば、「フレームワークに支配される」ことで「本質はどんどん失われ、逆に形だけが残っていく」という状況が生まれているわけだ。

以前の記事にも書いたように、会議のアジェンダであれ、資料のフレームワークであれ、ビジネスで使われる専門用語であれ、「新しい考え方や行動パターンが、日々の生活や職場でのリアルな実感からずいぶんと遠ざかる」ことになると、本質が見えづらくなり、形だけが一人歩きしがちなのだ。

「つながり」と向き合う姿勢

大切なのは、アジェンダやフレームワークや専門用語と、「すでに自分が知っていること・経験していることとの間に、「つながり」を実感しにくい状況」を生み出さないようにすること。

小島さんが3C分析を好む理由は、まさにこの点を指摘しているように思える。

新たな視点を増やして複雑にするより、この3つと向き合うことが何よりも思考を深めると考えている。

3C分析の要素としっかり「向き合う」ことで思考が深まる。

それは、私が記事(「専門用語の壁を乗り越える」)に書いている(ツールとしての)新しい情報の「吸収度」を上げることとピッタリ重なり合っている。

新しい情報をインプットするときは、(多くの場合、難解な言葉で語られることの多い)専門的な知識を、ふだん使いの言葉に置きかえて理解することで、専門用語がつくり出す壁と、その外側に広がっている自分自身の経験や知識との間に通り道をつくること。

「答えに近づこう」という意思と「とりあえずやっておこう」という意思。

その2つを隔てているのは、フレームワークであれ何であれ、ビジネスのツールの向こう側にある問題や課題と、すでに自分が知っていること・経験していることとの間にある「つながり」と向き合い、しっかりと感じ取る姿勢なんだろうなと思った。






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