「つながる/つながらない権利」と公平性・納得性のジレンマ
業務時間外に仕事の連絡を受けない「つながらない権利」への関心が高まる一方で、「つながりたい権利」も必要だとの議論もある、という日経記事が面白かった。
連合の調査によれば、雇用者の72.4%が時間外に業務上の「連絡がくることがある」と答えているものの、これを「ストレスに感じる」人が62.2%いる一方で、37.8%の人は「感じない」と回答。
また、業務時間外の連絡を拒否できたとしても、27.4%の人は「(拒否したいと)思わない」と。
オランダの研究者によれば、こうした違いは「業務時間外に仕事の連絡があると休息が妨げられる」人もいれば、「仕事の情報と切り離されると不安が高まり、オフを心地よく過ごせない」人もいるから。
制度化・ルール化をめぐる「こちらを立てればあちらが立たない問題」
だから、どちらの権利であっても、制度化・ルール化にあたっては悩ましい問題が生じる。
労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所の久保智英氏によると、つながりたい権利を無条件で認めると、「過重労働につながりやすく、健康を害するリスクが高まる」可能性がある。
しかし、たとえば緊急対応が必要になる仕事や「海外と情報のやり取りが欠かせない」仕事では、「どこまでが会社の仕事なのかの切り分けが難しい場面もある」から、一律の制度化・ルール化ではなく「時と場合による」運用が重要になる。
が、「発信者が上司だと返信不要と明言していても、部下は評価に響く不安を拭えず返信しがち」なので、「時と場合」の判断を相手にゆだね、「返信は要らないよ」と明記しても、実質的な制度化につながりかねないと損保労連の職場環境対策局長は指摘する。
なかなかややこしい。
公平性と納得性は「2つセットで1つの正しさ」ではない
こうしたジレンマが生まれる大きな要因の1つは、公平性と納得性の性格の違いだと思う。
「公平性と納得性」は、「義理と人情」のようにペアで使われることが多いから、「2つセットで1つの正しさ」のように受け取られがちだけど、公平性と納得性が指し示しているのはまったく別のことで、そのズレがこうしたジレンマを引き起こすことになる。
たとえば評価の公平性は、評価の結果が人によってバラつかない(そのような仕組みが整えられている)こと、そして評価の納得性は、評価を受けた人が自分の評価に対して不平・不満を抱かない(望ましくはたいそう満足する)ことを指している。
大事なのは、公平性が組織全体の客観性・一貫性を問題にしているのに対して、納得性は(各職場の)組織メンバー一人ひとりの主観的了解を問題にしているということ。
その結果、公平性が確保されていなければ納得性も低くなるという因果関係はおおむね成立するけど、公平ではない(組織メンバーにまったく同じルールを適用するわけではない)からといって、つねに納得性が得られなくなるというわけでもない。
公平性は組織メンバー全体を考えた場合の制度の整合性の話だが、納得性はそれぞれの職場という共同体で、何をどのように運用するかについての上司の方針のもとで行われた評価に対するメンバー1人ひとりの総合的・主観的判断の話だからだ。
公平性と納得性のジレンマを乗り越えるために
そういうわけで、組織全体のルールを設計するにあたっては「つながらない権利」を尊重する方向で考える必要があるけど、ミドルマネジメントがその制度を運用にあたっては、それぞれ違った仕事をしている各職場のメンバー1人ひとりが納得できるように運用する必要がある。
だから、この記事に描かれているジレンマは、これからの組織の制度設計を考えるうえで、クラシックのカデンツァ(楽譜には書かれていない、演奏者の自由で即興的な演奏を求めた箇所)のように、制度を運用する立場のメンバーの「時と場合による」運用の余地を盛り込む必要があることを示しているような気がする。
もちろん、「一般的にはこうするべきだけど、じっさいにどうするかは時と場合により判断する」みたいな玉虫色のルール(?)が書かれること自体は珍しいことではない。
大事なのは、そうした「時と場合による」運用の巧拙を公平に評価する基準を設けたり、そうした制度運用上のコンピテンシーを高めるための施策をどの程度講じるかだと思う。
たとえば、返信不要と書かれた上司からのメッセージに対して、返信しないと評価に響く不安を拭えないメンバーがいたとすれば、それは上司の側で「時と場合による」運用を可能にする(心理的安全性の高い)環境を構築できていないことになるので、上司の評価が下がるような公平な基準が必要になるだろう。
(それはそれでものすごくむずかしいし、手間暇もかかるだろうけど…)