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~第135回 ~「ご朱印の話② 大祝の話」

前回に続き、文久3年(1863)の氷川神社の御朱印から、今回は神職についてのお話しです。 この御朱印には「大宮大祝」として当時の宮司の名前が記されております。

江戸時代に「大宮」という名称を使っていたことが伺えます。 そして「大祝」は「おおほうり」と読みますが、「祝(ほうり)」とは、神社に属して神に仕える職のことで、古代は神社に奉仕して祭祀に従事した役職でした。

祝部(ほうりべ)とも称したことが、8世紀成立の律令の解説書『令集解』の「古記云。問。祝部何人。答。取二神戸之内一」という記述からも伺えます。 小学館の『日本大百科全書(ニッポニカ)』には

「古くは宮司(ぐうじ)、禰宜(ねぎ)、祝(ほうり)など、神職の職名は神社によって異なり、祝も一部の神社に置かれた。諏訪(すわ)大社には、鎌倉時代初期に大祝(おおほうり)、権祝(ごんのほうり)、擬(こりの)祝、副(そえの)祝などの職名がみえ、このうち大祝だけは生き神のように扱われた。大祝は大山祇(おおやまづみ)神社にもいた。阿蘇(あそ)神社、鹿島(かしま)神宮ほかに祝がいた」と解説されています。 さて話を戻しまして、氷川の御朱印を見てみますと、氷川神社も「大祝」ですね。

この事については今後、もう少し調べてみます。 最後に、大正期の氷川神社の御朱印は「官幣大社」と書かれています。

当時の宮司は天皇陛下直々の任命で、埼玉県の勅任は県知事、国有鉄道工場長、そして氷川神社宮司の3名しかいませんでした。

近代、氷川神社は国家の護り神として信仰を集めていたことがうかがえます。 近年は全国的に寺社の御朱印が人気ですが、先人も御朱印を大事にしていました。

昔も今も、私たち日本人は神社にお参りし、祈りを捧げ続けているのですね。


〔 Word : Keiko Yamasaki Photo : Hiroyuki Kudoh 〕

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