#28 【読書記録】怒らないこと
子供に自我が芽生えてきて、イヤイヤ期に突入すると、子供の癇癪に刺激されて私のイライラも増幅していきました。
いうことを聞かない。やるべきことをしてくれない。わかっているはずなのにとにかく否定してくる。
知識としてイヤイヤ期の子供の発達や対応方法は知っているのに、思ったように対応できない。
怒れば怒るほど自己嫌悪。
いったいこれはどうしたらいいのか、私はおかしいのか、子育てに向いてないのか、まったくダメな母親だ…と、いつも落ち込んでいました。
子供を怒らない方法、とか、叱り方、とか、いろんな本を読み漁りました。モンテッソーリ教育の思想も学びました。
そして、最近、こちらの本をAudibleで聞きました。
こちらの本のテーマは、
Q. 起こりたくないのに怒ってしまう、どうしたらいいですか?
A. 怒らなければ良いのです
ということです。
冒頭からガツンと頭を殴られたような、または揚げ足を取られてイラッとするような、こんな問答から始まります。
さらに、畳み掛けてきます。
「怒っている人は、怒りたいから怒っているのです。本当に怒りたくない人は、怒りたくないので最善を尽くして怒りを遠ざけています」
怒りたくて怒っている…⁈
そんなわけなかろう、怒りたくなんてない!と反発心が反射的に出てきました。
しかし、聞き進めていくうちに腹落ちしました。
そして、自分に落とし込むために何度も聞きました。
怒りは自分が生み出している
自分が唯一正しい、完璧だ、と実は思っているのです。
例えば子供を怒る時、自分の考えが正しいと思っているから、怒って行動を直させようとしているのです。
しかし、自分が完璧に正しいなんてことはありません。それはエゴです。自分にも間違いが必ずあると思っていれば、相手に怒りを抱くことはありません。自分のやり方や考え方に間違いや思い違いがあるかも、と思えば、怒りは生まれません。
言葉は正確ではない
言葉は不完全なものです。どんな人もどんなに言葉を尽くしても100%完全に相手に理解させることはできません。だから、正確に理解してもらえない、正確に理解できないことに対して怒るのは検討違いなのです。
怒ることは自分の無知を曝け出す行為
怒りという感情を表出させて誰かに理解させたい、行動させたい人は、相手に理解してもらう、行動してもらう工夫や表現を知らないということを曝け出しているのと同じなのです。自分がバカであると周りに言いふらしているのと同じです。
エゴから無知が生まれる
私は〇〇だから、というエゴから無知が生まれます。エゴという鎧を纏って、その鎧を否定されたり蔑ろにされると怒りが生まれます。親だから?先輩だから?上司だから?相手と自分を比べてエライエラくない、命令する人される人、そんな序列や上下を勝手に当てはめることで、自分の中に怒りを生んでいるのです。
怒りの生じた心を見る
怒りに気づくと怒りは消えます。
怒りの感情が生まれたら、心を観察しましょう。そこに怒りがあることに気づけば、怒りはそれ以上大きくなれないのです。
怒ったら負け犬
弱い人ほど怒りを撒き散らします。自信がなく、空っぽで、頭が悪いから怒るのです。
とにかくグサグサくる。
無知、負け犬、…
でも、ここまで言われたら覚悟が決まる。
怒りたくなければ、怒らなければいい。
そうなのだ。
それから私はちょっと怒ることから遠ざかれている。
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