なぜ生まれ、死んでいくのか?
「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこに行くのか」
フランスの有名な画家ポール・ゴーギャン(1848~1903年)がのこした大作(1897年)のタイトルです。この世に生を受けたわれわれにとって、最も本質的な問いかけかもしれません。
彼が生きていた時代にあっては、宇宙・地球・生命・人類・環境などに関する科学的な解明はまだ不十分でした。そのような命題にアプローチするのは、非常にむずかしかったことでしょう。
いまでは、多くの科学者たちが、興味深い啓もう書をたくさん出版されています。さまざまな考え方や仮説をつなぎ合わせていく努力と、学問の専門化・細分化が作り出した壁を乗り越えようという心構えがあれば、命題の謎解きはけっして不可能ではなくなっているように思われます。
ここでは、わたしなり考えていることをできるだけわかりやすく伝えていきます。
生命の設計図ともいうべき遺伝子の驚異の世界
あなたは、なぜこの世に存在するのでしょうか?
出発点となるのは、「身体」です。あなたの身体は、およそ60兆の細胞から成り立っています。すべての細胞の核のなかにあるのが46本の染色体。生命の設計図ともいうべき「遺伝子」は、染色体の中に入っているのです。
染色体のなかには、DNA(デオキシリボ核酸)という化学物質が長い鎖のようにつらなっています。そして、DNAの上に、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)の四種類の塩基が並んでいます。
四つの塩基を文字にすると、ヒトの設計図は、約30億の文字で書かれていると考えられています。遺伝子学者の村上和雄さんにしたがえば、なんと1グラムの2000億分の1という極微の空間に書き込まれているのです。
30 億という文字は、普通の字で書くと、1ページに千字ある千ページの本で、約3000冊分の量に相当するそうです。つまり、人体は、30億の情報が書き込まれたDNAのテープが約60兆も存在するという、驚異の世界なのです。
DNA上に書かれた30億にもおよぶ文字列のうち、タンパク質をつくる指令をだしている部分を遺伝子と呼んでいます。その数は、約3万2000個。幾つかの塩基(文字)がまとまって一つの遺伝子として機能するわけです。
遺伝子は、あたかも意志や頭脳をもっているかのように生体を設計し、自分のコピーをつくりだしていきます。生命の材料をつくり、それを情報として次の世代に伝えていくのです。
生物の細胞の組立は共通、年齢は「35億歳」
地球上には、多種多様な生物が存在しています。が、生物の構成単位である細胞の組立は、すべての生物に共通しています。全生物がみんな同じ遺伝子の暗号を使っていることになります。
それは、地球上の全生物が共通の祖先をもっていることの証し。すべての生物は皆、「兄弟」とも言えるわけです。
地球上に最初の生命が誕生してから、すでに35億年以上の歳月が流れています。あなたの遺伝子も同じ期間、存在し続けています。
あなたの「身体の年齢」がかりに20歳だとしても、「遺伝子の年齢」はなんと、「35億歳」ということになるのです。
あなたがいま、ここに存在するのは?
「なぜ、あなたがいまここにいるのか」という問いに対する答えは、簡単です。
それは、生命の起源以来、断絶することなく生き続けてきた遺伝子が、次々と子孫を残してきたからにほかなりません。遺伝子を子孫に継承していくこと。それは、生命にとっての至上命令です。そして、そうした生命体のひとつが「あなた」なのです。
「死」の代償として、個性が生まれた
次に、「なぜ死んでいくのか」について考えてみたいと思います。
死んでいくのは、寿命があるからです。それには、オスとメス、男と女の区別、つまり「性」が関係しているのです。
それだけではありません。
寿命はまた、個性とも密接に関係しているからです。
記事「『孤独というトンネル』を抜ける」では、「孤独と自由はメダルの裏表」であり、その根底には、「自我」とか「個性」というものがあると述べました。
ここでは、寿命と個性が生じた契機に触れておきます。
そこで、生物に個性というものがまったくなかった時代を想起してみましょう。地球の誕生は46億年前、生物の誕生が35億年前です。そして、個性が生まれたのは、およそ10~8億年前ということになります。生物の授業で習ったかもしれませんね。
生物が子孫を増やす手段に、「細胞分裂」と「生殖」があります。
体のつくりが単純な単細胞生物の場合、一匹が二匹に分裂して、環境が許す限り無限に増えていきます。それが細胞分裂です。そっくり同じ個体が、次々と増殖していきますので、オスとメスの違いや、親と子の区別がありません。われわれの基準でいう「老化」や「寿命」というものがない世界です。
ところが、10~8億年ぐらい前のことらしいのですが、二つの個体がお互いの遺伝子を組み換えることを覚えた生物が登場します。「生殖」が始まるわけです。親と子の区別も生まれます。
それによって、自分のコピーを延々と生み出すだけの無性生殖とは異なり、唯一無二の新しい「個性」、つまり多様性が生まれることになります。
ところが、そうした増殖方法をとり始めた生物は、もはや不老不死ではなくなってしまいます。言い換えますと、生殖によって、生物は個体の死を代償に遺伝子をより健康なものに若返らせることで、種全体をより多様な方向に進化させていく道が選択されたのです。
あなたがいずれ、死んでいかざるをえない理由も、そこにあります。
人類が誕生するのは、700万年前です。われわれの祖先が登場するまでには、まだ長い歳月の経過が必要になります。あなたの個性がつくられるには、気の遠くなるような長い時間がかかっているのです。
以上のように、個性というものは、個々の(自分の)生命の死を代償にして成り立っています。とても尊い存在と言わざるをえないのではないでしょうか。あなたがもっている豊かな能力と可能性に限界があるとすれば、それはいずれ死んでいかざるを得ないという厳粛な事実そのものにあります。
生きている間は、精一杯生きていこう!
そんな気持ちを再確認させてくれる「あなたの誕生と死をめぐる物語」ではないでしょうか。
【主な参考文献】
・NHK取材班『生命 40億年はるかな旅』第1巻
・佐倉 統『わたしたちはどこから来てどこへ行くのか?』
・桜井邦朋『寿命の法則 人間の死はいつ決められたか』
・アンドレ・ジオルダン/遠藤ゆかり訳『私のからだは世界一すばらしい』
・カール・セーガン、アン・ドルーヤン/柏原精一、佐々木敏裕、三浦賢一
訳『はるかな記憶 人間に刻まれた進化の歩み』
・辻野貴志『バイオテクノロジーを追う』
・野田春彦『生命の起源 改訂版』
・長谷川眞理子編著『ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか』
・半田節子『人体の不思議 あなたの身体はミステリーの宝庫』
・村上和雄『生命のバカ力』
・村上和雄・阿部博幸『生きている。それだけで素晴らしい』
・ユベール・リーヴス、ジョエル・ド・ロネー、イヴ・コパンス、ドミニク・シモネ/木村恵一訳『世界でいちばん美しい物語 宇宙・生命・人類』
・和田純夫『宇宙創成から人類誕生までの自然史』