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書くことしかできないから

こんばんは

目の前の色んな不安から逃げたくて、勉強とかひとりでいることを捨てて、実家に逃げ帰ってきて3日ほど経った。今のところ、毎日何をするでもなく、寝ることしかしていない。それと、noteをなんとなく更新し続けているくらい。それだけしか、今の私にはやれることがない。

この数日間、私には何ができて、何があるのかを考えて、色んなことを試した。久々にピアノに触れてみたり、塗り絵をしてみたり、羊毛フェルトで何かを作ろうとしてみたり。そしてわかった。今の私には、書くことしかできない、と。

自分が今どんな状況で何が苦しくて何が不安なのか、言語化してこうやってnoteに残すことしかできないとわかってしまった。意味があるとは思えない。でも、私は小さい頃から文章を書くことが大好きだった。実家の本棚から出てきたノート。中身は自分が当時好きで書いていた小説だった。もちろん、内容は支離滅裂。よくもまぁあんなに夢中で書いていたな、と自分でも思う。でも、それが全てだと気付かされた。私はずっと、書くことしかできなかったじゃないか。

絵を描こうとすれば、宇宙人みたいな物体しか描けなくて、ピアノを弾こうとしても、昔に弾いた曲はすぐに忘れてしまう。でも、書くことだけは、何よりも夢中になっていたのだ。すっかり忘れていたけれど、中学生の頃は小説を書いて投稿だってしていて、本気でコンテストに応募するほどだった。

もし本当に、今の私には書くことしかできないのだとしたら、どうにかしてそれを活かしたい。有料の記事も、書くならもっと多くの人の心に届くようなものを書きたい。誰かの隣にそっと寄り添えるような、社会福祉という道を志す私だからこそ書ける文章、届けられる文章を残したい。そう思う。実際にはすごく凄く、難しい。そもそも、そんなnoteにするためには何を書いたらいいのかも分からないのだから。

鬱とか双極性障害は、かつての私をガラッと変えてしまったと思う。これは紛れもない事実だ。でも、精神疾患ですら変えられなかった、文章を書いて誰かに届けるという私の力。これはもっと大切にするべきなのだと思う。誰にでもある力では、きっとない。過信とかじゃない。本当に、私は書くことが好きだからこそ、辛いことも苦しいことも、言語化していつもnoteを更新し続けられるのだと思う。そして何より、それを読んでくれる人たちと出逢えたこと。それをもっと、大切にしないといけない。

いつか、本を出したい。小説か、エッセイか、はたまた専門書かは分からないけれど、本を出す。みなさんと、約束。いつか実名で報告したい。遂に本を出すことになりました、って。待ってて欲しい。そのために、もっともっと、たくさんの文章を届ける。それが今の私にできる唯一のことな気がする。

今まで目の前の勉強から逃げたことがなかった。だから、検定を捨てて逃げたことは正直、悔しい以外の言葉が見当たらない。でも、時には逃げることが必要なんだって心のどこかで思う私もいる。合格に手が届くって分かっていたからこそ、余計に悔しさは消えないし、周りの人が頑張っているって分かると自分は何しているのだろうって思えてもっと悔しくなる。でも、前を向かないと。私の強さは、悔しさを悔しさで終わらせないこと。全て原動力にして前を向けること。受験期からずっと、そうやって前を向いてきたはず。本を出すまでは、死にたいと思う日があっても死なない。

だって私は、書くことしかできないから。

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