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お粥

年明けに姪っ子からもらった風邪が、まだウロウロとまとわりついていて、どうもすっきりしない。よくなったかと思って外出すると、夜には咳や鼻水が出始め、また家の中で過ごすはめになる。先日も友人と会う予定だったけれど、朝起きたときに胃がキリキリと痛み、約束を急遽キャンセルした。

今年の風邪は、胃腸にくると聞く。胃を締め付けられるような痛みに食欲もわかないので、お粥を食べることにした。元気なときには噛みたい欲求が強く、それほどお粥は食べない。でも、風邪などで弱った途端に、身体が栄養を吸収する力はガクンと落ち、お粥のようなやわらかくて水分の多いものを欲する。

冷蔵庫に余っていた冷やご飯と水を小鍋に入れ、クツクツと弱火で炊き、最後に卵を回しかける。卵にしっかりと火が通ったころ、お正月に煮ておいた黒豆を少し加えた。

ずっと前、長野の松本を訪れた際に立ち寄った民芸店で、大ぶりの漆のお椀を買い求めた。たっぷりと味噌汁を飲みたいときや、お粥を食べたいときに重宝している。そのお椀にお粥を注ぎ入れ、湯気が消えないうちに、熱々を食べる。すると、身体の芯から温まり、その後気づいたら2時間ほど寝入っていた。

数日そんな生活をしていると、体内の余計なものがすっかり外へ出てしまい、風邪をひく前と比べてずいぶん、すっきりしたように感じた。体調を崩したときだけでなく、日頃からお粥を食べるとよいかもしれない。1週間に2度くらいお粥の日を設けることで、日頃の食べ過ぎを引き受けてくれる胃腸を休ませてあげられる。

お粥と一言でいっても、つくり方次第ではいかようにも楽しめる。正当な白粥はもちろん、野菜を一緒に煮込んだり、鶏のスープで炊いたりした中華粥も滋養に富んで美味しい。

以前、台湾を訪れた際に、食べ歩きで胃が重くなり、ふらりと入った店でお粥を注文した。それは鶏の出汁で米を炊いたシンプルなものだったが、一口食べると、スッと身体の一部になるような感覚があった。口にも美味しく、細胞も喜んでいることがわかる。

その店では小皿のおかずがカウンターに所狭しと並べられていて、客は気に入った皿を自分のテーブルへ運んでいく。会計は自己申告制。青菜の炒め物や木耳(キクラゲ)の冷菜、煮卵などもお粥によく合う。しっかりとした味付けのおかずを添えれば、お粥であっても物足りなさを感じることはない。

また、お粥は水分量で濃度を変えることができるのもよい。水の量に応じて、5倍粥、7倍粥、10倍粥となる。米の量に対し水の量が5倍のものが、5倍粥。10倍粥などのサラサラとしたものであれば水分も取れるので、味噌汁をつくる必要もない。そうこうして、手を変え、品を変えたお粥生活が始まった。

昨日はいりこの水出汁で、蕪、冷凍しておいたシラス、卵の粥にした。炊いた米からつくれば手軽だが、やはり生米からつくったお粥の美味しさには叶わない。時間さえあれば、土鍋でコトコト、じっくりと火にかける。食べるときに梅干しを添えれば、それだけでご馳走だ。

夜にお粥を食べた日は、翌朝におなかが空く。普段、朝食にはスープくらいしか食べないが、お粥の翌日には朝からしっかりと食べたなくなる。夜の寝つきもよくなったような気がして、一石二鳥、いや一石三鳥もあろうか。食器棚の奥で眠っていた気に入りのレンゲたちも、日の目を見て喜んでいるはずだ。