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店長さんに質問です。 #2) どうして八百屋さんになったんですか?

こんにちは。
一期家一笑の杉浦大西洋です。

今回は、地元の小学生から、

「 なんで店長さんは八百屋さんになろうと思ったんですか?」

と、質問をいただいたので、お答えしたいと思います。


愛知県の豊橋市。八百屋の息子として生まれました。

1981年。

ピンクレディが解散する一週間前に、豊橋市の下地町で、杉浦国男と綾乃の息子として生まれました。

まるまると太った男の子は、大西洋と書いて(ひろし)と読む、当時最先端だったキラキラネームを名付けられました。

とても内気で、いつもオカンの後ろに隠れていたような幼少期だったそうです。


その後、中学校ではいじめられ、高校へ行ってバスケットボールと出会い、

仲間や先輩やガールフレンドと、年相応の学生時代を過ごします。


実家が八百屋であることを「ダサい」と思っていた高校三年生だった大西洋青年は、

親が八百屋で稼いだ学費と仕送りを思いっきりあてにして、憧れの大都会トーキョーへと旅立ちました。


東京での生活は、宗教の勧誘やら、ねずみ講の勧誘やらを華麗に除けつつ、デザイナーを目指して、バンタンデザイン研究所という専門学校へ行かせていただきました。

昼は学校、夜はバイトという生活でしたが、気が付けばバイトが楽しくて、学校のツレと連日渋谷のバーに通っていました。

気が付けば親が大金をはたいて入れてくれた専門学校を一年でドロップアウトしてしまいました。


なにをしていいのか、よく分からなかった大西洋青年は、たまたまその時に読んでた、椎名誠さんや野田知佑さんの本に触発され、今度は、

「 おら、旅人になる!」

と言って、自転車を買い、日本全国一周の旅に出ることにしました。


東京のアパートを引き払い、自転車に積めるだけの荷物を積み、まずは南に行ってみようと思い、50日かけて、沖縄の石垣島まで行きました。

毎日の野宿で、ホームレスの人にごちそうになったり、公園でいたずらされたり、高知県でいろんな人に助けてもらったり、

それは、まあ、たのしい旅でした。


特に目指していたわけでもないけど、行きついた石垣島には、そこのキャンプ場で暮らして何年、なんて人もたくさんいたりして、

旅人とホームレスって紙一重だ。

なんて肌で感じたりも。

そんな旅で結局じぶんは見つかるはずもなく、帰りは船にのって、愛知県の港まで帰りました。


じぶん探しに旅に出たのに、旅してみたら、じぶんがなにをしたいのかもますます分からなくなってしまい、とりあえず地元に戻ってのバイト生活がはじまりました。

あてがあるわけでもないけど、バイトして100万円貯めたら、また東京に行こうなんて漠然と考えていました。

居酒屋でのバイトもやってみればそれは楽しく、毎日バイト生活に明け暮れ、90万円くらいお金が貯まったときに、当時のガールフレンドから「妊娠した。」と告げられました。

僕は二十歳くらいで、彼女は1コ下。

どう考えても未熟同志でしたが、結婚という道を選びました。

その後、子どもが産まれ、それなりにたのしい結婚生活だと思っていたのですが、そう思っていたのは能天気な僕だけで、ある日、些細なケンカから妻は出て行ってしまいました。

ぼくは離婚したいとは思っていなかったので、散々みっともなくねばりましたが、娘が小学校にあがると同時に離婚届に判を押し、また、独身になりました。


そんなこんなで、精神的にもダメダメだった大西洋青年に手をさしのべてくれたのは、他でもない親父とお袋でした。

「 家を手伝ってみるか?」

と親父に言われ、そんな覚悟があるわけでもなく、なんとなく

「 おう。やるよ。」

なんて、言って、実家のスーパーマーケットでの日々がはじまりました。


親父から、

「 お前は、スーパーのことなんて何にも分かってないから、修行に行ってこい。」

と言われ、同じ東三河でハイクオリティなスーパーマーケットを展開する「アツミフーズ」さんに修行に行かせてもらいました。


これが、ぼくの人生の転機となりました。

アツミフーズさんは、高級食材が置いてあるお店というだけでなく、社員さんの食品に対する勉強の熱意や、知識の量が、僕が今まで見てきた世界からすれば桁違いでした。

ぼくは、イタリア料理のレストランで3年ほど修行させていただいたことがあるのですが、そこでは、魚の下ごしらえなどを担当していました。

小さなレストランだったので、スタッフの人数もそんなにいるわけではなかったのですが、
同僚たちと比べて、(俺の方が魚を捌くのは早くてきれいだ)なんて、井戸のなかでカエルが叫んでいそうなことを本気で思っていました。

そんなカエルがスーパーの鮮魚部に配属されると、びっくりするくら魚を捌くのがダントツで下手くそで遅くて、パートのおばちゃんたちからも、

(まじでお前足手まといだな!)

という眼力オーラをビシバシ感じていました。


ここで空気の読めない大西洋青年は、へこむわけでもなく、とにかくいろいろ盗んでやろうと、うまい人の技を見まくりました。

アツミフーズさんで勉強させていただいたのは半年たらずでしたが、あの時の経験は、その後の人生を変えてくれたと言っても過言ではありません。



「 とにかく目立とう。」


実家のスーパーに戻ってみると、研修先のアツミフーズさんに比べて、なにもかもが10年くらい古臭く感じてしまいました。

当人がそう思いながら仕事をしているから、まわりのスタッフとも理解しあえず、衝突ばかりを繰り返しました。

そういったなかで、まわりと差別化するためには、目立つことが必要だと考えた、脳みそまで大きさがカエル並の大西洋青年は、

魚の帽子をかぶり、黄色いハッピを着て、とにかく出っ張りを増やして、目立とうとしてみました。

結果は思っていた以上で、テレビや新聞の取材もたくさん来たし、お客様もたくさん来てくださいました。


なのですが、やっていることが思いつきでやっているだけなので、やってる本人も空虚感がある上に、巻き込まれるまわりは、ますますたまったもんじゃありません。

気が付けば、古参スタッフと僕の関係性は修復不可能なほどになってしまっていて、まわりからは健康的に見えてるお店は、完全に内部崩壊していました。


今のままではお店を続けられないと判断した親父が、

「 店を閉める。次はお前がやれ。」

と言い、あたらしい一期家一笑の扉が開きました。



( たぶんつづく。)


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一期家一笑

440-0083 愛知県豊橋市下地町境田67-3
TEL 0532-52-9657
日曜日定休
10:00-19:00
店長 杉浦大西洋




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