自分でつくる、そしてそれを楽しむ。味噌を仕込んで思った「根源的なよろこび」について。
今年も自分で味噌を仕込んだ。
しかも今年は何種類も仕込んでみた。
大豆、黒大豆、青大豆、白糀、黄糀、新潟の糀、会津の糀…..
豆と糀をいくつか揃えて、組み合わせを変えて作ってみる。
そんな試みをやってみた。
味噌は東京に暮らしていた時から、友人と集まって仕込んだりしていた。
東京で味噌を仕込むとなるとなんだか一大イベントで、1日かけてとても苦労して仕込んでいた記憶がある。
今の暮らしの中では、料理することの延長くらいで、サラリとできるようになった。何かをつくることや仕込むことへのハードルが自分の中での下がったからだろうか。
そんなわけで今年は何種類か仕込んでみることにした。
夜ご飯を作るついでに少しずつ仕込んでいる。
仕込んだ味噌が食べられるようになるまでは約半年先のことだが、
もうすでにたのしくて大満足。
味噌を仕込んでいて思ったことがある。
それは、仕込んでいる過程で「よろこび」が
どんどん増えていくということである。
「味噌を仕込む」の工程にはどんなものがあるか、想像してみてほしい。
はじめに材料の調達である。味噌を仕込むには大豆と糀と塩が必要だ。
調達するところから味噌づくりは始まっている…!
まずは糀。特に調達のあてはなかったのだが、隣町の温泉に行った時に、隣町に糀やさんがあることを思い出して立ち寄る。しかも2件あったので、どちらにも行ってみる。
2件とも素敵な老舗の糀やさん。それぞれお店のおばちゃんが違った方向に素敵な人で、お話ししながら糀を購入。糀屋さんで糀を買うというあったかい思い出ができる。幸。
次に大豆。1種類目の黒豆はわたしのパートナーが仕事で岡山に行った時に買ってきてくれた岡山県産の立派な黒大豆。近場じゃ手に入らないような大きくて立派な黒豆!幸。
2種類目はお出かけしたついでに寄った直売所で購入した青大豆。新潟県産の新豆。直売所の思い出とともに持ち帰る。幸。
3種類目は、2件目に行った糀やさんから買わせてもらった大豆。糀やさんが仕込む味噌に使われている大豆である。店頭で売っていなかったのだが、おばちゃんとお話ししてたら、うちでも買えるよ〜とのことで購入させていただく。おばちゃんとの交流も生まれ、なんだか幸。
こうしてたまたま3種類の豆に出会えて3種類の豆が揃った。
塩は普通にスーパーで買った。
海水から作ったなるべくシンプルなものにした。
材料が揃ったら味噌仕込みの下準備。
まずは大豆を前の晩から水に浸けておく。
浸水させた大豆は数倍に膨らんでいて、ぷっくりと綺麗。
綺麗だなあと言う気持ちが自分の中に生まれる。幸。
浸水させた大豆を煮ていく。
上に鍋を乗せられるタイプの灯油ストーブで1日かけて煮る。
部屋の中に大豆のいい香りが充満する。ほくほくした気持ち。幸。
たまに煮えているかの確認と称してつまみ食いをする。
ただの煮豆がとにかく美味しい….!幸。
煮た豆は少し取っておいて、お料理にも使ったり、
豆から納豆を作ってみたり、煮汁をスープの出汁にしたりして活用。
味噌用に大豆を煮たことの副産物でめいいっぱい楽しむ。幸。
煮上がった大豆で味噌を仕込んでいく。
大豆は手作業で潰す。買ってきた糀と塩と合わせて、
味噌玉を作り、瓶に入れていく。作業も楽しい。幸。
豆と糀によって味が変わるのかなあ。
自分たちで食べる分以上を作ったので、
うまくできたらみんなにお裾分けしたいなあ。
半年後にどんな味噌ができるのか想像して幸せな気持ちになる。幸。
味噌は買ってきたものを食べることもできる。(そっちのがポピュラーか。)
わたしもいろんなお味噌屋さんのお味噌を食べ比べたり、
旅先でいろんな土地のお味噌を買ってくることもある。
そんな楽しみ方も大好きである。
でも今回作ってみて改めて思ったのは、
買ってきたら、買うよろこびと食べるよころびだけだったかもしれなかったものが、作ってみたら、買ってきた時以上に、たくさんの、長く続くよろこびが生まれたということだ。
材料を集めるよころび、糀やさんのおばちゃんと出会うよころび、豆の変化を楽しむよころび、煮ている豆をつまみ食いするよころび、部屋がいい香りで充満するよころび、豆を他の料理に活用してみるよろこび、出来上がりに想いを馳せるよろこび….出来上がった後にはもちろん食べるよろこびがあるだろうし、お裾分けしてみんなで楽しむよろこびもあるかもしれない。
過程に、手間に、時間に、こんなにもたくさんのよろこびがある。
なんかこれってすごくない?と思って書いてみた。
誰かが作ったものを買ったり、消費することが多い現代。
こだわって作られたものを買うよろこびももちろんあるし、
買うことを否定しているわけでは全然ない。
でも買えるものをわざわざ「自分でつくる」ことは、実は、
よろこびが何倍にも勝手に増えていく秘密なのではないかと感じたのだ。
「味噌をつくる」という一つのことの中に、
こんなにもたくさんのよろこびが散りばめられていた。
しかもそれはずっと長く続く。
味噌をできるまでの半年先、いやそれ以上、
ずっとよろこびの最中にいられるのだ。
こういうことの中で、過程で生まれる小さなよころびやたのしみが、
私たちが求めていることなのかもしれないなと思ったり。
これは人間の根源的なよろこびなのではないかなと思ったり。
少なくともわたしの根源的なよろこびではありました^^
楽しかったし、これからも楽しみ!幸!