水産業界の問題点と真のサスティナブルな水産社会とは
◎流通における構造的問題
かつての日本の町の風景を思い出して欲しい。そこには商店街が賑わい魚屋や八百屋、肉屋を始め様々な小売り店が存在した。またそれらの小売り店に卸す問屋が幅を利かせ、流通過程において問屋は多大な影響力を有していた。「そうは問屋が卸さない。」という言葉があるほど、問屋が気に入らないお店には品物を卸さないという風潮さえあったのである。一方で問屋はプライドを持って品質を選別し責任をもって小売業者などに卸していたのである。これにより品質が保たれいたのである。ところがそれは物が足りない時代のお話である。時は流れ人々は時間というものを大切に考え、買い物にも効率性を求めるようになる。スーパーマーケットの台頭である。昔から「時は金なり。」という。至極当然の考え方である。そしてスーパーマーケットは町の小売店をどんどんと淘汰していく。この中で町の小売り店は時代の変化や必要な設備投資に対応する力を捥ぎ取られていった。
その結果、生産者から小売業者までのピラミッド型の業者数構造は崩れ去り、問屋を含む中間流通業者の数が肥大し過当競争が引き起ったのである。これまでのパワーバランスは崩れ、問屋たちはスーパーマーケットの奴隷化し、小売店などの仕入れに対する発言権を失った。そしてこれらのことは甚大な悪影響を及ぼしていくのである。
◎消費者が美味しい物に出会えない
問屋の発言権喪失は同時に選別機能も失う。その結果を見ていきたいが、確かに過当な価格競争が起こっているので消費者にとっては安く買い物ができるようになったようにも見える。ただしこの競争はイノベーションを生まない。かつて問屋不要論というものがもっともらしく囁かれていたころがあったが、あくまでそれは選別機能を理解していない人たちの理論である。選別機能=付加価値なのである。物事の価値観が価格という物差しでしか図られていない風潮があまりにも長く続いたせいで我々の周りから品質の良い物が消えつつあるのである。やがて日本は長期にわたるデフレスパイラルに陥り給与所得が増えない状況から未だ抜け出せずにいるのであるが、このような状況においてもメディアは安いことが正義であり値上げは悪である様な報道ばかりしている。値上げが悪なのではなく値上げに応じた所得を払わない企業が悪なのであるが、企業がメディアのスポンサーなのでこのことには一切触れない。そして会社は株主の物だから社員よりも株主優先だ!みたいな考え方はそろそろ止めにしませんか?その考え方が結果として株主の不利益を生むはずである。
脱線したが、まずスーパーマーケットが企業であるといことを忘れてはいけない。彼らはお客様に褒められるより会社から褒められることにより生活が豊かになるという性質を持つ。顧客満足よりも表面的な利益が重要。いくらで仕入れていくらで売るか。
販売価格ー仕入れ価格=スーパーマーケット社員の生活向上
美味しい物を売ればもっとお客様が来たかもしれないという機会損失のことは考えない。
仕入れの価格をひたすら下げるのみ。
また彼らは企業であるがゆえ組織である。電化製品が好きな人が鮮魚の部署に配属される人もいるだろう。専門的な知識が必要な鮮魚においてそのモチベーションが低いことは仕入れる物の品質に大きく影響するだろう。
つまり結果として消費者は品質の良い物を手にする機会を奪われているのである。
彼らは消費者とは安くないと買わないと思い込んでいる。他のスーパーよりもいかに安く並べられるか。そのことで頭が一杯なのである。
そしていかに販売コストをかけないか。例えばよくスーパーでよく見る光景だが、マグロの陳列棚の前で消費者が10種類ほど並んだマグロ商品を物色している。あれこれ手に取り散々悩んだ結果、何も買わずに帰る。
「いや買わんのかい!?」
と突っ込みたくなるが、消費者の気持ちも痛いほど解る。マグロに対して何の知識もないのに10種類も並べられても選択根拠がないのである。
しっかりとした商品説明をするべきではないか?
でもそれには人的コストがかかるのでやらない。また置いているマグロの取り扱いもヒドイ物で、あれでは絶対に美味しく食べられない。素材が悪いのではなく然るべき手間をかけないのでお美味しくなくなるのである。
もっと消費者満足のために必要なコストをかけるべきではないか?
◎生産者から中間流通業者までそしてそれに携わる全ての業者の利益圧迫
価格競争の果てに何が待ち受けるか。
この中間流業者の儲からない皺寄せは生産者に及ぶ。
実際に私がマグロ業界に入ってからの約15年の間に廃業していったマグロ漁船は数えきれないほどで4分の1くらいになってしまっていると思う。
生産者がいなければ水産業は存在しえない。
魚の生産、特に漁師の仕事は特殊な技能と経験に裏付けられており、一朝一夕で覚えられるものではない。よってすぐ誰かにとって代われるものではないのである。
生産者が辞めてしまえばその産業は失われてしまうのである。
また、問屋や加工業者のような中間流通業者の機能も無視してはいけない。
簡単に産直が理にかなっていると考えがちであるが、本当に漁師からしか魚が買えなくなった時のことを考えたことはあるだろうか。干物が食べたい時どうしますか?イクラは?数の子は?全部自分でつくるかもしくはスーパーががつくるか。スーパーが作るとその生産性が悪いので相当高い加工料が上乗せされてしまう。問屋が選別機能を果たさないとお正月にせっかく大奮発して買ったマグロが真っ黒で水っぽい物を掴まされる。もしかしたら経験した人も多数いるかもしれない。
中間流業者はスーパーの数に対してその数が多すぎて叩かれまくった結果、全然儲かっていないのが現状である。
にも拘わらず物流費は基本的に中間業者負担。
ゆえに昨今の燃油代の高騰に対して対応しきれていないので輸送費を上げられない運送会社や保管料を上げられない冷蔵庫会社が五万といる。
本来、
原料費+付加価値(=利益)+諸経費→販売価格
であるはずが
販売価格(固定)ー諸経費ー付加価値(=利益)→原料費
といった計算式になってしまっており、自らの利益を削ることと同時に仕入れ先の利益を削ることを余儀なくされる構造になっている。完全なる悪循環である。
◎フードロスを加速
フードロスの加速というか、フードロスはそこにあるものである。
なぜかというとスーパーの利益計算の中に廃棄率が最初から組み込まれているからである。
1000円/kgで10kg仕入れました。1000×10→10000円
これを2000円/kgで店頭に並べます。2000×10→20000円
売れ残って4kg捨てます。20000ー4×2000→12000円
売り上げー仕入れ=12000ー10000=2000円(利益)
なんと雑な売り方か
え?ちょっと待ってください。
そんなに捨ててるんですか?
え?ていうか安くないですよね?
気づきましたか。
そうなんです。
皆さんスーパーは安いと思い込んでいますが
そんなことはありません。
しっかり廃棄分を販売価格に乗せて売っていますから。
そして納品業者からは廃棄分を安く買い叩く!笑
もちろん廃棄をゼロにしろとは言いませんよ。
でも何か腑に落ちません。納品業者は皆思っています。でも誰も声に出せないんです。取引き停止になってしまいますから。
このような無茶苦茶な理論がまかり通ってしまっているのが現実である。これを可能にしてしまっているのがアンバランスな流通構造である。
もはや日本は大量消費社会ではない。
大量廃棄社会なのである。
◎国際的な買い負けを助長
読んで頂いた通り現在の流通ではいかに安く仕入れられるかが物事の価値基準になっていることがお分かり頂けたかと思う。この状況で国際的な買い付け競争に勝てるのだろうか?
答えはNO
一目瞭然である。
事実として日本に輸入されるほとんどの水産物において買い負けが始まっている。日本の輸入業者も収め先から安くないと買えないと言われるので高くは買えない。
例えば、
2000円でしか買えないと言われた物を
2500円買い負けし、
国内在庫が薄くなり国内で買い付け競争が生まれ、
結果4000円に跳ね上がる。
ようなことが起きている。
2600円で買えなかったのか?
という話である。
結局4000円出して買っているわけなので。
でもスーパー自身はなかなか値上げはしない。納品業者に逆ザヤ分を負担させるなどということは日常茶飯事である。
こんなことばかりしているようでは国際競争にはとても勝てないだろう。
納品業者をいかに安く買い叩くかがビジネススキルのようになっている価値観を変えない限り、日本の水産業界に未来はない。
今回は読者の身近なところで話を分かりやすくするためにスーパーマーケットに焦点を当てて展開したが、これらの事は回転寿司チェーンなどでも本質的には全く同じことが言える。
もう買い負けは止まらない。
これは現実として受け止めるべきであり、買い負けをしないためにどうするかでは無く、買い負けをしても良い状況を作るために何をするべきかを考えた方が良い。
日本近海という素晴らしい漁場があるではないか。また殊マグロに関して言えば世界中の海に漁獲枠を持っている。日本の国土に触れない大西洋やインド洋さえである。このことが強みでなくていったい何なのか?
それでもなお生産者及び中間流通業者を叩き続けるのか?
岐路に立たされている。
◎本当にサスティナブルな水産社会とは?
先日テレビのニュースでクリーニング屋さん用のハンガーを紙製で作ったメーカーが特集されていた。しかし1個400円するので、この値段では高くてクリーニング屋さんが使えないのが課題だという。
いや、1個400円で良いのである。それをクリーニング代に上乗せすれば。そしてそのクリーニング代を支払えるだけの給与を会社が支払えば。答えは簡単。SDGsの本質とはそういうことではないか。その覚悟がない会社がSDGsに取り組んでいるなどと言うべきではない。戦略的に取り組むこと自体が目的になってはいないだろうか。企業のPRのための戦略のようにしか見えてこない事が多いのである。
今回タイトルにサスティナブルと入れながら敢えて資源の話はしていない。
資源のことは今のご時世、誰もが大切であることは解っているからである。
私が言いたかったこと。スーパーの批判をしたかったわけではない。現在の流通構造では資源的にだけではなく経済的に持続不可能だということである。生産者から中間流通業者、小売業者、そして消費者まで皆が笑える水産社会を作っていかなければならないのである。資源はもちろん大切であるが、それを扱う人たちが幸せであってこそ初めて資源の大切さを語るべきではないだろうか。
そしてこれらのことは何も水産業界に限った話ではなく、全ての食品流通においても同じことが言える気がしてならない。
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