こうありたいと思うことすら欲

自分の中に、美学を持ちたいと思う。
いつだって、その美学に基づいて言葉も行動も選びたい。
たとえば、仕事で自分の役割をとられてしまったなとおもったときにも、友達が学生時代からの彼氏と結婚して惚気話を聞かされたときにも、
むかつくとか悔しいとかなんでわたしはこうじゃないんだろうとか、そういうどろどろした気持ちは心の底に沈めて、
浅はかな欲望に引っ張られずに、小さな見栄やプライドのためじゃなくて、
わたしはこうありたいと思う、その美学を選びたい。
心に美学を持つ人は、強い。本当の意味でのプライドを持っていると思う。

わたしはなんのために美学を持ちたいのか。
それが見返りを求めるものであっては意味がないのに、どこかで、
良き自分でいれば良きことがやってくるのでは、という期待が拭えない。
望まないふりして、本当の本当は望んでいるよねって。
どこまでも欲深い人間で、嫌になる。
そうですわたしは欲深き人間ですよと割り切って生きていくのも一つ、
欲深さを知りながらでもわたしはこうありたいんだよとバランスを取るのも一つ、
わたしにはどちらも難しい。飼い慣らせないのです。
こうありたいだとか、こうなりたいと思うこと自体がそもそも、欲なのか。
つくづく面倒な人間だと思う。美学を持ちたいだなんて、なんと烏滸がましい。
潔癖な精神など求めても、持てるはずないのに。

安全圏から出ないままでは、愛も優しさ感謝もわからないままですね。
自分を守らないという一種の美学、プライドを貫いていたからこそ、
愛を知ることができたのだと思うよ。

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