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知ることは感じることの半分も重要ではない
2024/7/29(月) PM9:50記
昨日の日曜日,通勤電車に揺られながら吉川 宏志さんの歌集『青蝉』を読んでいた。
難しい漢字が出てくる。
全く読めないものから確かこんな読みだと推測できるものまで色々と。
その一部というか私の学のなさを敢えてここで露呈しよう。
① 臍:へそ
② 掬われし:すくわれし
③ 金木犀:きんもくせい
④ 黒黴:くろかび
⑤ 曼珠沙華:まんじゅしゃげ
⑥ 楤:たら
⑦ 金銹色:かね(な)さびいろ?こんしゅうしょく?
①②③は多分こうだと思いつつ自信なし,④⑤⑥に至っては全く読めず,⑦は調べても分からなかった。
私は短歌や俳句の造詣が深い訳でも,語彙力に富んでいる訳でもないので,漢字くらい読めた方が絶対的に解像度は上がる。
歌の多くは日常や経験を切り取られているはずだから。
だがしかし,調べる前に文脈で読み取ろうと思わせてくれる得も言われぬ趣が,この歌集にはある。
いざ調べると勝手に解釈していた意味合いと辻褄が合っていたりいなかったり。
実際のところは漢字が読めたとて間違って汲み取っているかもしれない。
でも,読む人によって想像する場面の違いも許容してくれるような,してくれないような雰囲気がある。
兎に角,正解らしい答えを手っ取り早く調べるため広大な海をサーフィンする前に,分からないなりに感性を働かせて考えるということは,何事においても重要だと再認識しました。
以上,感じられる域に至る知識を蓄えられますように。