想像していなかった未来、アラフィフてアイデンティティー崩壊の巻
今までの続きから応募用に話が一旦逸れます。
自分という人間は、大雑把で明るく、まあ、そこそこの学歴を持ち、そこそこの仕事をして、現代にそぐって高齢出産を無事終え、子育て中で、まあ、なんていうか、普通の人間だと思っていました。
その普通がこの夏ぐらいから、疑いを持って過ごしつつ、この最近の秋で普通ではないということが判明しました。
しかもこんな、メンズエステのバイトの出会いで発覚してしまうとは。
5人家族であり、看護師をしながら、家計をやりくりするのが大変で家族に内緒でしていたメンズエステのバイトで、たまたま来た客に、ADHDなんじゃないかって言われて、
はー?そんな訳ないやろう、ADHDと言えば、発達障害。
発達障害がこんなに長く看護師と言う仕事ができる訳ないと思ったからです。
しかも私の弟はバリバリのアスペルガー症候群であり、内に籠る派に対して私は真反対の鉄砲玉タイプ。
案外、誰とでもお話しできるタイプで、転職も恐れなく出来ていたし、そんな訳ない、とその時は思いました。
しかし、何だか気になって、本屋でADHDの本や漫画の中の
ADHDの体験や、困り事を読んでいくうちに、人類、皆兄弟と言わんばかりに、この人達、私の身内なのか?兄弟、姉妹なのか?
と思うくらい、思考回路から、行動が似ていました。
と言うより、自分の話みたいでした。
細かいところは違うのですが、何かざっくりと似た様な感覚を感じました。
それで、よく覚えていないのですが、指摘してきたメンエス客に、ADHDと思う、と話したところ、ADHDで薬を飲んでいる知り合いがいると言うことで、会わせてもらう事になりました。
ここまでの展開は早かったです。
そのADHDの知り合いに、内服をするとどうなるのか?
と聞いたところコーヒーを飲んだ時のスッキリ感がある。との事で、内服をしてみたいなと思うようになりました。
まだこの時は認めたく無かったです。
違うよーと、誰でも良いから1人でいいから、言って欲しかった。
疑いを消してしまいたかった。
AD HDと、バレたら大変だと思うからです
何故なら、私は看護師だから。
私が婦長だったら、間違いなくAD HDの看護師なんて、何が何でも追い出すに違いありません。
ミス、不注意、多動、衝動、
入院して、こんな、看護師が臨床の場にいたらどうですか?、みなさん、嫌でしょう。
婦長だったら?
頭痛いです、私も嫌です。
私は今まで、多分、ギリギリのラインで、バレそうになりながら何とか、やり過ごしてきたタイプでしょう。
それに、毎年、周りがアッと驚く、本当にダメな看護師は1人くらいは就職して来て、そっちに注目が行くから、
見過ごされて来た、
きっと、今までの学生生活もそんな感じだったんだろうな。
目立って…際立って「変なの」がいるから、普通に変でも見落とされる的な。
ただ、クビになったり、追い出されたり、向いてないわ!と、失望したりの決定的な出来事は今までは無くて、、、、
という事は、普通という可能性も残っているのでは?と、希望の光を見出したり
AD HDといえば「片付けられない女」
私はどちらかというと、そこまでではない。
どちらかというと、インテリアを楽しむ余裕もあるし、
北欧系が好きです。
料理も得意だし、料理の後の床拭きは欠かさないし、換気扇も1年に1回だけど、油落とししています。
何てったって、2回も「奥さん」として選ばれてる訳で、
お相手の審査も、1人暮らしの私に対してなかなか慎重でした。
(夫になった2人は、隅々まで見破れなかった、運の悪い人たちなのかもしれませんが)
結婚もできている、そんな事からやはり、AD HDとは、違って欲しいと、願っていました。
しかし、
3歩歩けば、違うこと考えたり、夫に、よく、探し物してるよな、と言われたり。
若い時から日傘を見事にあちこちにばら撒いて来て、新調率が高い。
ペットボトルを手に持って移動しようものなら一瞬で失っている。
神業?手品みたいに消えている。
買った服は、バスに忘れて、問い合わせして、手間も、金も時間もかかるのに、また、同じことをする。カバン➕αが持ち続けられない。
やっぱり私って、、、、やっぱり?
後は、飽き性なので、環境を変えることに、快感を感じてしまうので、引っ越しは17回目。
フットワークは軽く、マメです。
その度に家具を買い替えたり、カーテンを替えたり、雰囲気が変わるのがたまらなく好きで、やめられない。
お金は看護師のボーナスやら、足りなかったら、体売ることも、容易ですし、
目的のためなら手段を選ばない。
借金は今ある家のローンしかした事もない。
買い物依存がある訳でもない。今あるざっくりとした貯金への自制心もある。
だから、違うと言ってくれ!
そんな気持ちで、この11月に、たまに睡眠薬をもらいに行く先生に、
「あの、物忘れが激しくて、すぐに忘れてしまいます。大事なことがぬけてしまいます。物忘れ外来なのか、発達外来なのか…。」と
相談すると
先生から、
「ちょっと今から小学校の時を遡ってください。授業中って、何していましたか?」
私「変な模様を書いていました。あとは、漫画書いていました。
休み時間に友達を喜ばせようと思って、必死に書いていました。」
先生
「じゃあ、次は高校の時ね、授業は聞いていましたか?」
私「いえ、聞いていないです。」
先生「何か癖はありましたか?」
私「コンタクトレンズを出したり外したり、目尻をやたらいじってました、もう、しょっちゅう、しょっちゅう、それがやめられないんです。」
先生「リズムを取っていたんでしょうね……。あと、怪我なんかはどうですか?」
私「昔、メリーポピンズの傘を持って空にふわふわ浮くみたいなやつをみんなでしに行こうってなって、
皆んなで傘持って行ってのに、いざとなったら誰も飛ばなくて、私だけ飛びました。」
先生が、あぁーと、顔を覆ってOR Zみたいな、素振りをしたので、
私は、
えっ、、、、何で?
と思いました。
それって、そんなに異常なことなの?
先生「それで大怪我をしたんですね。」
私「はい、捻挫です。年長でした。今でも痛くて覚えています。」
先生「今、困ってることは?」
私「保育園で、毎回忘れ物をしたり、行事そのものを忘れたり、3人目に至っては、お迎えまで忘れたり、2人目の時は
毎日ベビーカーが無くなって、大捜索してて、みんなを巻き込んで。
忘れっぽいのレベルを超えています。」
先生「それは、困りますね、保育園は優先順位が、あなたの中で低いのかな。
今、訪看て、できてるんですか?ひとつ間違えたら、大変な仕事じゃないですか、利用者様相手だし。」
私「そこだけは、ミスしたく無くて、凄く集中してやっています、、だけど、終わってから気が抜けるのか、利用者さんの家の鍵持って帰ってしまったり
挙句、手を滑らせて利用者さんの鍵をドブに落としてしまって、
利用者さんに、靴べらを借りて大捜索したり
たまに、大変なことになります。
でも、遅刻や忘れ物はありません。」
先生「うん、うん。」
私「私、頭は悪くないんですよ。成績も満遍なく5教科やってました。小論文だって書けます。」
先生「うん、うん、わかるよ。」
今まで、笑いを堪えたり、顔を覆ったりして私のエピソードを、あちゃーという、顔で聞いていた先生でしたが
静かに、落ち着いたトーンで、先生が一息ついてて、
こういうとき、間の取り方が、さすが、ドクターだなと思う。
先生「まず、言えるのは、あなたは認知症ではありません。認知症の人の会話ではありませんでした。
あなたは、AD HDです。
ところどころ、異常があります。
それでですね、今あなたがそう自覚して受診したのは、
困り事が増えて自覚したんだと思うんだけど、恐らく、今、3人の子育てでめちゃくちゃ大変な上に、
訪看までされている、それで、ミスが目立って来ちゃってるんだよね。
お薬、飲みましょうか。」
私「AD HDですか。」
先生「そうです。お薬は薬が2種類あって、じわーっと効くタイプと、即効性があるタイプなんだけど、あなたは結構、話を聞いている限り、急を要していると思うので、
即効性を勧めます。」
私「えっと、それって、一生飲む感じですか?」
先生「いえ、今、あなたは子育てに仕事、人生で最も大変なステージにいる、子供がある程度大きくなって、自分のことだけ考えたらいいステージになれば、辞めたらいいしね。」
……。
とにかく、診断されてしまった。
先生「自立支援と手帳を勧めます。どちらもあなたが望めばという形ですが、特にデメリットはないでしょう。
2週間後に、自分をモニタリングしたメモを持って来てください。薬の調整します。」
以上、想像していた知能検査や、ワイズ?検査などは一切無く、
思い出話だけで、AD HDと診断されてしまった。
そこから、自分を振り返ったら、おかしな事だらけなことに気づきました。
結構、失敗が多くて、
そうなる度に、やっぱり私って、、、、
やっぱり、やっぱり、やっぱり、
やっぱりダメだった、やっぱり、
となり、究極鬱になりそうな瞬間と常日頃戦っている。
なのに
ついつい平和な日常に満足できず、今移動しなくていいじゃん!上手くいってるやん!て時に転職したり、
結婚したり、大怪我して、人生大忙し。
今だって、毎日、大変なんだ。
訪問看護だけは大丈夫とは、言い切れないかもしれない。
結構、利用者さんの家を余裕で毎回、通り過ぎたりしてるし。
引き返せばいいだけですが、
あ、また、私…。
毎日、こんな自分をバレない様に、バレたら終わりだと、崖っぷちをしがみつきながら、進んで行く人の様に生きながらえているのかも。
一歩間違えれば、落ちてしまう的な。そんな危うさがある。
それにしても診断されてしまって、すぐに
私はとんでも無いことをしてしまった!!!!!
どうしよう。取り返しのつかないことをしてしまった。
もっと早く分かっていたら、
もっと早く発見できていたら
もっと早く、診断することになっていたら、
看護師を選ぶ事もなかったし
結婚もしなかったし
子供も産まなかった。
苦労しなくてよかったのに。
と思った。
でも、私は苦労がなく、平和になると、自ら茨の道に行きたがる変な癖があって、それを辞められない自覚がある。
だから、どちらにしろ、どんな人生を選んでいても結局、常に崖っぷちを歩く、今と大して変わらない、くだらない人生になるのだろう。
ため息が出る。
しかし、
1番きついのは、1番取り返しのつか無いものは
子供。
なんで、神様はこんな障害の私に簡単に、ポンポンポーンと子供を与えたの?
子供に悪いことをした。
しかし、疑問が生まれる。
AD HD母は、子育てに困難を来すとよく聞くが
私は、ベビーカーを無くしたりはあったけど、子供自身を無理だと思った事はない。
いや、まてよ、私に問題を感じなくても
子供が、大変だった?
振り返る事10年前、そう、長男が歩き出した頃、
ベビーカーを乗るのを嫌がって、降りたがるのを無視していたら、ベビーカーから落ちた
という事故を起こしたな。お古のベビーカーのタイヤが変な音がすると、サラダ油を浴びせてみたり(音は解消されましたが、ダイナミックすぎます。)
思いついたこと、行き当たりばったりしてしまう。
他にも何かあったな、
長男がベビーカー降りて歩きたいと言い出した時、一緒にベビーカーを押して歩いていたはずなのに
気づいたら、長男がいなくて
パニックになった事があった。
不注意すぎる。
しかし、消えてしまった、というのが正しいくらい、姿が無くて、
保育園に戻り、長男がいなくなった!助けてくれ!と騒いだところ、冷静な保母さんが出て来て
「いつもの道すがら、どこかにいるはずだから、いつも寄るところにいるんじゃない?」と
言われて、スーパーに行ったら、いた。
という事があり、
自分が怖いなと、思いました。
イオンなどの商業施設でも、子供を見失う事はよくあった。
特にフードコートは、もう、すぐ見失う。
いなくなったと、大騒ぎしては、子供がフラーっと戻って来る。
大事には至っていない(単に私が見失っているだけだから)
思い出したら、子育てに困るというより、困ることにはっきりは気づいていない、が正しいのかもしれない。
子供が可愛くないわけでは断じてない。
初めて子供を産んだ時、そのかわいさは特別で、24時間見てても飽きないわ!と思いました。
授乳して、一緒にコロンと横になって、入院してた時、
授乳の記録とか
乳児の今日の体重だとか
いちいちおっぱいを上げる度に、体重をスケールで測り、飲んだ量を調べる様に言われたけど
1度もしなかった。
毎日言われても絶対にしない、というか、できないので、
助産師にはあきられていたが、看護師だということで、許されていたと思う。
神経質に体温やら体重やらを測定する方が馬鹿げている、と言わんばかりの態度だったので、スタッフからは、嫌われていたと思う。
昔から、規則や当たり前のことをしない、というよりできない(勝手に自分の中で優先順位を下げてしまう)
周りから見たら、反社会的な人と映る可能性もある。
子育て本などは一切読まず、たまにネットを見るくらいで、
ほぼオリジナル。
児童館でお母さんと夜泣きについて話し合うが
夜泣きで苦労した事がない。
というか、自分が起きていないだけなのか?と、フッと思ったけど、気にしなかった。
こんな私でも、何故かいつも、ママ友が要所、要所でいて、1歳半健診も3歳児検診も、連れてってもらうという形で、忘れる事はなかった。
しかし
つい最近、予約していた子供の誕生日ケーキ、
私が予約していたのに、取りに行くのを忘れて
夫が急いで取りに行く事件を起こし、ひどく落ち込んだ。
何か嬉しい事があると、その後の行事が、業務が全て吹き飛ぶ。
それにしても吹き飛びすぎる。スッカリ全て脳みそがどっか行ってしまう様な飛び方なのです。
私って、いつもどうしてこうなの。
私なんて
私なんて、迷惑かけてばかり。
困っている人を助ける仕事をしているはずなのに、困らせる心配があったり、
自分の方が困っていたり
人生的に、助けられている割合の方が断然多く、何やってんだ、本当に。
産まれてこなければよかった。
調べたらAD HDは、8-10%。
残りの90%に入りたかった。
私の受けた国立大は確か、6倍で、合格発表は、めちゃ飛び飛びの受験番号の中、自分の番号を見つけた瞬間、奇跡だと思った。
しかし、それ以上の奇跡的な%に当たっていたのだ。
最悪だ。
生まれてこなければよかった。
これは鬱なのか。
そうかと思えば、私の弟はアスペルガーで、とても生きづらそうだ。
私もAD HDで、やらかしている。
これは、神様が授けた試練だから受けて立とうじゃないか!
かかって来いAD HD!なんて、奮い立ってみたり。
忘れない様に、やることを家中を張り紙だらけにしてみて、忘れを予防する事はできる。
しかし、もっとも致命傷なのは、今、たった今、さっきまで手にしていたものが消える現象が1番辛いし、困る。
そこは、本当にどうしようもない。
諦めるしかないのか。
いちいち落ち込んでいたら鬱になる。
忘れ物くらいで人生終わらないし、取り返しのつかない事は、ほぼ無いはずだよ。
思考が、プラスマイナス、コロコロ変わる。
ずっと、ずっと、普通だと思っていた。
多少、慌ただしい人生だけど、普通の人だと思っていた。
小さい頃は普通に結婚して子供を産んで、幸せに暮らしていけると、信じて疑わなかった。
しかし、自分はどうしてこんなに冒険心というか、色んなことに興味を持ち、ハラハラドキドキ、危ない事が好きで
幼少時代、他の保護者に明らかに嫌われて、何かが違う、何か嫌われる要素が、何か人と違うんだろうなと、子供ながらに、傷付ついていた。
でも、障害だなんて、思わなかった。
これからどうやって生きていけばいいんだろう。
これが最近、アラフィフで診断が下り、予想していなかった、私の未来です。
勿論、今後も予想はできません。
根底には穏やかや、安定を好まない自分を自覚しているので
やはり崖っぷちを、今の今も、ずっと行くしかないのだろうか。
今の課題は、そろそろ自分が主役の人生から、子供を主役にする生き方をしないといけないと思う。
産んでしまった子供のために。
しかし、どうやって。
元々自分しか見えていないのに。
どうやって生きていったらいいの?
今後模索していくことになるのだろうけど、自信がないです。
とにかく、遺伝のこともあるし、
まだ正直、分かりませんが、子供に似た様な苦労をさせる事になるのかと思うと、将来が不安です。
想像していなかった未来を
誰か助けてください。