看護師あかりちゃん
勉強会に出席して、色んな部署の人と知り合いになって、話し合えたらと思ってなるべく参加しています。何か印象に残ったものや共有したいものは、記録に残します。ご意見、ご指摘お待ちしております。
2年半の東京結婚生活に蹴りをつけて、せっかく実家から羽ばたいた過去から、10年ぶりに実家に帰ってきました。絶望的な話
結婚して、新生活は東京、新しい職場も東京、そんな簡単にうまく行くわけがない。怖いもの知らずだった私のお話
そんなに、キラキラしてません。 むしろ異文化交流で、疲れ果てていた話
看護師5年目は転機でした。結婚相手が見つかったのです。
産まれと育ちとある田舎に長女として産まれて割と圧のある両親に育てられました。 母は、悲劇のヒロイン、誰かに寄りかからないと生きていけない毒親です。 その母親がしんどくて?なのか不倫、アルコール多めの父親。 それに対して、母親に当たられまくりと、ネグレクトを繰り返された私。 娘なのに何故か「女」として見られる圧がある。 アスペルガーの弟。母の溺愛対象。 家は常に真っ暗。 おまけに両親が高校の時に変な宗教に入ってしまって、入らされて、辛くて仕方なかった学生時代を経て、 反抗で
今までの続きから応募用に話が一旦逸れます。 自分という人間は、大雑把で明るく、まあ、そこそこの学歴を持ち、そこそこの仕事をして、現代にそぐって高齢出産を無事終え、子育て中で、まあ、なんていうか、普通の人間だと思っていました。 その普通がこの夏ぐらいから、疑いを持って過ごしつつ、この最近の秋で普通ではないということが判明しました。 しかもこんな、メンズエステのバイトの出会いで発覚してしまうとは。 5人家族であり、看護師をしながら、家計をやりくりするのが大変で家族に内緒で
旅行から戻ったら、元気が出てきました。 看護の仕事を斡旋してくれるところに電話。 口の上手いおばちゃんが「あなた、せっかく離婚して実家に帰ってきたんやから、これを機にUターンしなさい。」 (Uターンとは、実家に帰り住むということです。) と言われましたが、 私は「それは嫌です!Iターンでお願いします。」 斡旋のおばさん「珍しい人やね、〇〇(私が初めに就職した地域)がいいの?」 私「はい!」 斡旋の人「探して電話してみるけど、、、、Uターンの方が良いと思うけど」
イーニンは、馬ににんじんぶら下げて、イソップの世界。 宿に着いたら、洗濯を手洗いして、絞っても絞っても茶色い汁が出てくる衣類と格闘。 ポロと呼ばれる、油の上に浮いた羊の肉たっぷりのチャーハンを食べて、お腹を壊して、 胃腸強いはずなのに、驚きました。 苦労して来たのに、カザフスタンの国境を見る事しかできませんでした。 そこから カシュガルまで移動して、体調も戻り、 勧められるまま、カセットや、見れるかわからないDVDなどを買い、髪留めや、スカーフ、楽しくお買い物をして、
大昔に1人でシルクロードを巡った話です。 クチャから、初めて長距離バスに乗ることになりました。 バスの方が、次々来るのと、行き先も細かく豊富です。 何となく、適当に直感でイーニンという街に行くことに決めました。 ガイドブックにはザックリ12時間くらい〜と書いてあって、寝台バスでした。 寝台バスに乗るなんて、面白すぎる! 車掌さんはカザフ族で、アジアとヨーロッパを足して、2で割った様な?不思議な顔立ち。 悪くない、ハンサム。 隣はタジク族の母娘だったのですが、娘さん
ウルムチにつくと、西安とはまた違う色で、ぐっと、人々は鮮やかになりました。 女の人はカラフルな頭巾を被っており、セーターにジャケット タイトスカートに、タイツ、ブーツ、(中途半端なイスラムだなぁという感じ) それが妙に色っぽく、絵本の世界のようです。 ロバのタクシーにたくさんの食料を乗せてカラフルな女の人たちが揺られて行く。 しかし、周りは、砂っぽく砂漠。 ザクロの実があちこちで売られ、ワイン色の怪しい宝石の様に、目立っていて 物凄くエギソチックです。 こんな
私の勉強法はとにかく、勉強会に出て、色んな部署の人や、立場の違うコメディカル、ドクターからの話を聞いて、 今の問題を知ることと それについて、色んな人がどんな考えを持って行動しているのか、 症例検討を通して、考え、学ぶ事です。 本題に入る前に、言葉の意味の復習。 慢性疾患=長期で、不確か、不経済、侵害的で、治癒不可能なもの。 ACP=今後の治療、療養について患者、家族と医療従事者があらかじめ話し合う自発的なプロセス。 要はエンディングを本人がどうしたいかの話し合い
ホテルボーイに翌朝、空港、乗り場まで送ってもらって、元気よく手を振って、西安に飛びました。 西安は、ぐっと、色の濃い街で、思ったより外人が少なくて、注目の的になりました。 チョーズーチョー! チョーズーチョー! と、タクシーの運転手が招いてくるので、チョーズーチョーは、タクシーなのかー。 とか、すごい新鮮でした。 餃子はジャオズーって、なんか、日本語と響きが似てる〜とか、 店に入ってる困ってたら、また距離感無い人たちが勝手に笑顔でお世話してくれて、 5元で、丼だ
山形の知らないおばあさんに好きなことしなさい、金あるでしょ、 と言われ、私の好きな事って何だろう?と考えた時、 せっかく離婚したのだから、結婚していてはできない事、 やはり海外に行ってみたいなと思いました。 手始めにシルクロードに単純に憧れ、行く事にしました。 仲良くなった真ちゃんに「ええ?早く帰ってきてや!」と言われながら まず広州と言う大都会に飛びました。 夜でした。 いきなり短時間で漢字のネオンだらけの都会が見えて、 勢いよく漢字だらけののネオン街をくぐり抜け
※話は盛っていません、寧ろ小盛りにしてます。 山形でどういう流れで、そうなったのかは、はっきり覚えていないけど、昼前に到着して 行く当てのない、恥ずかしい成人した姉弟が彷徨っていたら、 誰かに行けと言われて?だったかなあ。はっきり覚えていないけど、おばあさんのいる宿?家?に 宿泊することになった。記憶が曖昧です。 おばあさんが、畑手伝って貰おう、と言って、弟と畑に行きました。 あんたら、ナスの取り方も知らんのか?と、 取り方を習い、姉弟で必死にナスを収穫し、 ナ
離婚して実家に帰省して、2か月目。 確か、看護師3年目か、4年目の時 親に1千万溜まったことを電話で自慢したら せっかく貯めた1千万円を女1人暮らしで 持っておくのは危ないから お母さんが、親として預かっておいて、もしもの時に、バーンと出せるようにしといてあげるから、今すぐ預けなさい、と言われて母親名義の口座に、キリのいい1千万丁度を預けたこと思い出して 離婚もしたし、 今、独り身で仕事もないし 今こそ、あの時、預けていた1千万返して貰おうと思い。母親に尋ねると
離婚して、両親がピリピリして良いる中、家事手伝いをしながら、スポーツジジムに通い、 出会った真ちゃんと毎晩、過ごしていました。 とは言っても、色っぽい関係ではありません。 真ちゃんはこの実家の地域が大好きで、休みの日はあちこち連れてってくれて、それなりに楽しかった。 それに6歳下だからなのか、真ちゃん自体のキャラなのか、出ている学校がバカすぎるのか、本当に子供みたいな人で、 私が結婚していた人とは真逆キャラ。 私が過ごして、出会ってきた人達とは全然違う感じだった。
実家のスポーツジムのプールで、出会った年下の男の子。 「泳げるんですか?」と聞いたら「泳げるよー!」とパシャパシャと、とても、うまいとは言えないクロールを披露してくれました。 無邪気さがやたら可愛い、 つるんと肌の綺麗な男の子。 「何歳なの?!!」と聞いたら 私より6歳も年下でした。 ものすごく若い。 私が最近、離婚して実家に帰って来たことを話すと、 良かったねーここに帰って来れてー! と、人の話聞いてんだから、聞いてないんだか、わかんないような回答をする人。
まぁそんな感じで日々が過ぎました。 私が離婚する前にゴタゴタがあったように 実家も相当ゴタゴタしていたようだ。 まず、弟が、大学を中退していた。 はい? かなり良い大学を沢山受かって、選りすぐって行った筈なのに。 なぜ?! 聞いたら、 自分の行きたい大学ではなかったが、将来が安泰そうなところだったので、親に勧められるがまま行った。 ところが 集団行動ができない、などで、その大学の専攻する職業は難しい、無理であろう、 発達障害があると思われるから、 病院行っ
離婚してからも、荷造りなどで、忙しく、無理に心を奮い立たせて、休みながら、作業していた。 今まで苦労して、冷蔵庫やテレビ、洗濯機、掃除機から、こたつ、電子レンジやオーブントースター 手に入れたはずなのに、 結婚を機に手放してしまった。 あぁ、もったいない。途方に暮れる 私の荷物なんて服や、本くらいのものだ。 何故か、急にレンタルビデオ屋に行って、お笑いのDVD借りて見ることにした。 思いの外、大笑いできて、現実を忘れられて びっくりした。 自分が、笑えているの
※トラウマな事ですし、フラッシュバックもありますので、 だいぶ端折ります。 すれ違いなのか、何なのか、ぶつかれないまま、気持ち悪いまま、時間が過ぎる夫婦生活。 例えるなら 歯に何かが、挟まったままなんだけど、取り方が分からない、でも、そのままだと、歯が腐ってしまう、、、 そんな感じかな、 その頃、私は、何故か日記を書き始めました。 始めは、ネパールに行った事や、記録、感じた事を書き留めておきたかった、と言う目的でした。 ネパールの事、思い出して書いてたら、心が