離婚して、実家帰って、弟と祖母を介護してスポーツジム行って、家事して
まぁそんな感じで日々が過ぎました。
私が離婚する前にゴタゴタがあったように
実家も相当ゴタゴタしていたようだ。
まず、弟が、大学を中退していた。
はい?
かなり良い大学を沢山受かって、選りすぐって行った筈なのに。
なぜ?!
聞いたら、
自分の行きたい大学ではなかったが、将来が安泰そうなところだったので、親に勧められるがまま行った。
ところが
集団行動ができない、などで、その大学の専攻する職業は難しい、無理であろう、
発達障害があると思われるから、
病院行ってくださいと、先生から直々に電話があり、退学して来たらしい、
なんとまぁ。
で、弟はというと、行きたくもない大学だったので、今度は行きたい大学を受け治すとか言ってて、理系を目指していた、
てゆうか、私の時は、国立大以外はダメ!と言ってたくせに、弟は、初めから私立だし、挙句、受け直しもOKなのか?!
腑に落ちない。
しかし、発達障害の可能性って、、、
確かに、そうだろうなと、納得はしたけど、この時、まだ疑いの状態で、暇な私は、弟の受診に付き合い、脳波を取られてたりする弟に付き添ったり
インドカレー食べに行ったりして過ごした。
祖母の介護も2人で行こうってことになって、2人で行ったけど、
祖母が夜中に、杖をカンカンベッド柵に叩きつけて、呼びつけることが多く
全然寝れず、一方隣の弟は知らん顔して寝ているので
え?なんで?とおもったら、耳栓をしてて、
「何やってんのよー!」って、耳栓を引っ剥がしてやった記憶があります。
弟は小さな音でも、寝れなかったりする様です。
私が海外行った時の写真など見せると、こんな、表情の人見たことがない、羨ましい、と、言い出して、
一緒に行く?と聞いたら、
行きたいけど、行けないよ、不安すぎる、私の事が信じられない。と言っていました。
弟は大学を受け直す、受験生でした。
祖母の遺産1億は、母の妹さんが祖母の面倒を最後まで見るという名目で、引き継ぐことになり
私たちは世話から逃れた。
スポーツジムは、ちょいちょい、行ってて、トレーニングというより、気晴らし。
プールで知り合いができた。
何でもバツイチの若い男性でした。
でも、やさぐれてて、接しにくい人だった。
何だか、わかる気がしました。
離婚経験者にしか理解できない、深い傷と闇を感じました。
他にもいろいろ声をかけました。
ジャグジーで知り合ったおばさんに、家に招待されてパスタ作ってもらったり、
何でこんなし優しいんだろうと思ったら、息子と付き合ってくれない?と、依頼されたり。
写真で見たらなかなかの土方風のイケメンでした。
父親に見せると「アホか!お前は!合うわけないやろ!こんなのとは!」と。
また火をつけてしまいました。
また、プールでもう1人男性と知り合いました。
笑顔の素敵な方でした。この方は母親と2人暮らしの独身で、「結婚はしないかも…。」と言っていて
「もし結婚するなら、この人は結婚しても笑顔でいてくれそうな人だなと、確信するまでは怖くて結婚できない。」と言っていました、
なぜなら母親が父親に泣かされた挙句、離婚したのを見て来ているから。ということでした。
何でも辛い経験は、今後の考えになるものなのだなぁ。
私って、その点、世間知らずだったのか、と反省してみたり。
毎日、毎日、スポーツジムで誰かと喋って、トレーニングしていた様な記憶はありません。
それは、孤独にならず、いい気晴らしだったのかもしれません。