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【映観】『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』(2024)

『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ(Joker: Folie à Deux)』

監督・脚本: トッド・フィリップス
出演: ホアキン・フェニックス、レディー・ガガ、ブレンダン・グリーソン
キャサリン・キーナー、ザジー・ビーツ

映画を観たらスタンプ一個捺印されるポイントカード(8回満了)で今回無料。
だけれどこの制度は廃止され、次回からはネット経由で会員になってください、とのこと。
なんでもかんでもそれだなぁ〜、と思いながら、いざ映画館。
(ここで妄想入れば、案内嬢と一緒に歌って踊るとこ)
前評判は賛否両論、ガガ様の登場でミュージカル仕立て、それくらいは知っている。
なんと云われようとも絶対観るヤツなので、まずはずずずい〜とお通し願おう。

ところで毎度の如く、ネタバレていうような核心を突く話は避けますが、なにしろツラッと饒舌になってしまったらポロリしてしまうやも知れません(芸能人水泳大会くらいの感じで)ので、そこら辺はご勘弁願います。
どちらかと云えば本作をご覧になってから、一緒に楽しみたいと思ったりもします。平に!

マンガから始まった。
ジョーカーがテレビ番組収録のため局入り、彼の影が襲いかかって、本物に成りすます。
TVショーで影が歌っていると本物にバトンタッチ、そしたら警官がやってきてボコボコにされ捕まっていく。
それから映画はスタート、陰鬱で薄暗い檻の中に収監されたアーサー(ジョーカー)の登場。
痩せぎすの男が、かのジョーカーの成れの果て。
ホアキンさんて「ボーはおそれている(2023)」じゃ中年太りの役柄だったよね。
そうですそれがメソッド演技法、人格を掘り下げ役作りに徹底する演技というデ・ニーロさんもお得意のヤツ。
しかしながらホアキン、徹底したなァ、もう肩甲骨がまさに羽みたくなり堕天使のよう。

映画全体の感想、
とても痛かった。
全編を通して余りにも痛々し哀しさでいっぱい、救いはガガ扮するハーレイ“リー”クインとの恋、だけど、、、
アーサーが妄想に入り込むと、歌い出してミュージカルになる。
彼の心の声がその歌と同調して、踊り始める。
現実と妄想を混合することなく進行していくのでとても分かりやすい。
これはアーサー・フレックの物語であって、そこではジョーカーは除け者である。
バットマンで愉快に殺人を楽しむ道化者とは、無縁のお話であることを知っておくべきだ。
彼が多重人格であろうが、それを装っていようが、夢想家な側面を持っていて、すべてに失望していて、愛を渇望してるのだ。
彼がジョーカーになってしまうと、アーサー独特のあの何でもなくても笑ってしまう疾患は表れない。
今回特に、笑う疾患がたくさん表れるということは、ずっとアーサーのまま物語が進行していってるというサイン。
心も身体もとことん痛めつけられる留置場、一緒に脱走騒ぎをするリーとの恋物語が同時進行していく前半、
それから裁判が始まる後半戦、留置場から裁判所へ移送され、だんだんとジョーカーが表出してくる。
それは観衆が求める道化役、愛に応えようと必死にピエロを演じ、無法者は権力者や富裕層を茶化して笑い飛ばす。

ショータイムの始まりだ。
裁判シーンでは、1作目の脇役が証人として次々と喚問されていく。
精神医学博士、アーサーが恋愛関係にあると妄想していたシングルマザー、同僚ピエロの小人。
テレビ中継も入り裁判は見せ物である。
アーサーの心情を軽々しく評価する者、彼の母を代弁し知らされていない事柄を証言する者、
コテンパンに叩きのめされていくうちに、防御のための仮面、ジョーカーが立ち現れていく。

ラース・フォン・トリアー監督「ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)」と同じ構図でもある。
本作タイトル"Folie à Deux(フォリ・ア・ドゥ)"はフランス語で「二人狂い」
ジョーカーに感化されたリー、観衆に踊らされる二人、どこにも行き着けない道。
何かを選択したら、以前に開示されていた道の動線は絶たれ、選んだ先へと進んでいくしかなく、どんどんと見えない先へ行ってしまう。
もちろんその選択をした本人に責任があって誰の所為でもないが、仕方なく選択を迫られた場合、脅迫観念、精神疾患なども考慮せねばならない。
と、自分でも何を書いているのかわからなくなってきたが、裁判の模様を見ていたら悲しくなってきた。
それは言うべきではない、言ってはいけない、本当であっても話すべきではない、それは人の心を破壊してしまう。
今作はジョーカーではなく、ジョーカーをしくじったアーサーのお話。

僕ら野次馬は、映画でも現実でも、無軌道に組織や制度をぶっ壊すスターを欲してる。
鬱積した不満を代弁してくれる犠牲者を求めてるんだ。
その最たる者が、皆の罪を背負って磔になったジーザス・キリストか。
殉教者、てな言葉さえ浮かぶホアキンの鬼気迫る演技と、
レディー・ガガのエンターティナーなショーとは、
クソみたいな現実と妄想、華麗な"That’s Entertainment Show"もどき。
しかし映画館の外に出たら、なんだ現実、映画もそこに落とし込まれていて、リアルだけが残る。
バットマン不在、ジョーカーも失速、やけにリアルさだけが寂しく映画という夢が壊されて軋むくらい痛々しい映画だった。
ビョークのあの映画のように、何度も観たくないかも知れない。

でもそれがショービジネスの世界、なのかも知れないかもしれないけれど、
僕はこの映画を支持します。
で、アーサー・フレックの物語はこれでお終い。


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