【映観】『パリ、テキサス』(1984)
『パリ、テキサス(Paris,Texas)』
監督: ヴィム・ヴェンダース
出演: ハリー・ディーン・スタントン, ナスターシャ・キンスキー, ジョン・ルーリー
音楽: ライ・クーダー
40年前の映画、何度となく観ているがたぶん今世紀初かも知れない。
初めて観たのは「バグダッド・カフェ(1987)」とかミニシアター花盛りの頃だった。
もうこの映画に漂う色気だけで、ついぞ酔ってしまっていたような気がします。
今観てもやはり写真の色がとてもいい。
赤い帽子(なぜこの色?笑)を被り、砂漠を放浪する髭顔で浮浪者の男が主人公。
ライ・クーダーのスライドギターが、砂漠に吹く風のように漂う。
それを伴奏にして、ただただ倒れるまで歩き続ける男。
目的地は、両親が交接し自身を孕んだ土地というテキサス州パリ。
男はそのパリの土地を購入したのだという。
もうそのシチュエーションだけで、ほぼ素敵なお話しは完遂された。
その印象が強烈で、僕は、それからのコトは霧中だった。
言葉を忘れた男は、実弟に救われL.Aへ連れていかれ、実子と再会することになる。
我が子と別れた奥さんを探す旅に出る。
別れた妻は、ナスターシャ・キンスキー、綺麗な女優さんだ。
80年代特に光っていたが、いつしか名前を見かけなくなってしまった。
再会のシーンはなんとも痛々しく、流石に記憶に残っていた。
あのガラス越し電話の受話器で交じわす会話は、話を先に進ませて正解があった。
もうそれ以上は言うまい。
しかし要約してみると、親父は逃げ出し、妻は育児放棄し、弟夫婦がその子を引き取る、
というなんて自由主義(悪く言えば身勝手)な夫婦なのでしょう。
でも自分に正直な欧米人のスタイル。
それを受け入れる子と、面倒をみる弟夫婦の器量が試されてる。
まあその常識から逸脱するのが、非日常を描く映画なのですけれども。
今回見直してみて感じたコトは、主人公があんなに剽軽だったのかな、というところ。
寡黙で記憶喪失、というイメージだったけれどそれは前半だけ。
息子との旅も覚えておらず、本当に人の記憶というものは曖昧なものである。(いやそれは自分だけか)
僕はロードムービーが大好きです。(反対の密室劇も好き)
絶えず動いていくスタイルは、演者と共に観ている者を誘って、どこか知らない場所へ連れていってくれる。
まさにトリップ、映画は旅を模す。
人の生涯を旅と呼ぶのであれば、それもまたロードムービーと言ってもいいのかも知れない。
余談になるが、ヴェンダース「夢の涯てまでも(1991)」もこないだ観たのですが、公開時より100分余り長いヴァージョンで288分(約5時間)
出たよ長尺映画〜、これは堪えた。
僕が観たのは、たぶん核衛星が落ちてくる辺りで終わってしまうヤツで、それで良かったような気がします。
それから物語の核心ともいえる映像記憶媒体を巡る話へと移行するのだが、かなり抽象的な展開が交錯して、そこは曖昧に観客に感じさせるくらいで良かった。
監督が撮りたかったのだから文句言えないけど、公開時Verは各国飛び回る追走劇に終始していてまさにロードムービーを体現していたのだけどね。
さて今日は僕が当時一番夢中になった『ベルリン・天使の詩(1987)』を観てみようと思ってる。
これは素敵な写真だぞ。