静かな場所でぼーっとしたい時に見るモノクロ写真集。
モノクロ写真を見ていると、立ち止まって、自然と呼吸が深まっていくような感覚になります。
心がシンプルになっていく気がします。私だけなのかな。あなたはいかがですか?
一枚一枚に静かな物語を閉じ込めたような写真集が欲しくて、ここに作ってみました。
ごゆっくりどうぞ( *ˊᵕˋ)っ☕📖…
あとがき。
スマホで撮った普段の写真をモノクロにしてみました。
時のしじまに吸い込まれるような、知らないけど知っているような感覚。
写真って景色を撮っているのに心を撮っているみたいです。
あなたの心の風景はありましたか?
私は、白と黒の世界は…映画も写真もそうですが、なんだか見えている表側よりもっと奧にあるものが際立って感じられるような気がします。
なんでだろう?
例えばあるひとつの捉え方として…
写真を撮ることで五感の中の視覚だけを選択し、周りに溢れている膨大な情報を5分の1にカットします。
そして時間(平均寿命の80年を秒数にすると約25億秒で、そこから睡眠時間を引くと16億秒。体験できる人生を仮に16億秒とすると、人生の16億秒分の中から1秒)を決め、
過去と未来を切り取り、
全天球パノラマの視界から視野角をたった一点に絞り、
さらに全ての色彩を限界まで無くし、
……と、どんどん情報を削ぎ落としていった先、辿り着くものはなんだろう。
この手に実物として残る一枚のモノクロ写真。
全ての過程を自分で意図したならそれは、選び抜かれた、あるいは削ぎ落とされた自分なのかな?
素、芯、奧にある場所、のような。
自分という枠も越えてもっと原始的な、素朴な意識、心、のようなもの。
そんな気がしました。
例えば動作や感覚に深く深く集中する時に、限りなくフィルターが外れて澄み渡っていく体感がありますが、それと似ています。
どんなものでも、意図して選択することを繰り返していくと自分というものが、または意識が研ぎ澄まされていくのでしょうか。
それはもちろん写真だけではなくて何でも。
あるもの、していることの全て。全ては扉なのかも。
老子の言葉にも『致虚極、守靜篤。』虚を致すこと極まり、静を守ること篤し。つまり、心を空っぽにして静けさを保っていると、世の万物がどんどん生み出されてまた元の姿へ戻っていく様が見える。とあります。
体験する人生を16億秒としたら、16億回自分の在り方を意図できる自由は、その扉は、今この瞬間にあって。
自身の意志で選択を繰り返す、意図する、取捨択一、集中する、ことは実は同じ方向の矢印で、辿り着く場所は全て真ん中なの。
それは新たな自分という可能性と何度も再会していく大切な過程なのかもしれない。
なんとなくそんなことを感じて、世界がとても新鮮に見え楽しくなりました。
画像フォルダの中から好きな写真をモノクロにしてみるの、楽しくておすすめです♪
おまけ。
それはそうと写真集の中に天使がいたの気付きましたか?
ふふふ。私には陽気なおちゃらけ天使に見えました。
でも天使のような猫とか、天使のような雲とか、もういろんな天使がいたから、パズルの中の隠れ天使に気付くのは難しかったかもしれません。
もし見付けられていたらすごいです!あなたにハッピーなことを運んできてくれますよ。気付いた人にだけ、幸せを運んでくれるんですって。
えっ……見逃してました?これじゃあハッピーなことが運ばれてこないって?
ふふ。では……こちらまで読んでいただいたあなたにだけ、特別ですよ。
うっかり撮れてしまった極秘の一枚を見せてあげます。
しー。静かに。まわりに誰もいないか確認して。
はい!
ここで見たことは内緒ですよ。
秘密をそおっと胸にしまって楽しみに待っていたら、きっとあなたのもとに、いいことが訪れるかも。