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『ABC法案』─1─
「おい日直、号令〜」
担任が大きな体躯を揺らしながら教壇に立った。
体育教師のくせに、最近伊達メガネなんてかけだして小股に歩くようになったこの教師が、俺は嫌いだった。
ガタガタと騒がしい音を立てみんなが椅子を引いて立ち上がる。
形だけの挨拶を終えると、また小声で隣近所との会話が始まった。
そんないつも通りの朝の空気の中、昨日の夜更かしと朝練のせいだろうか、
大きなあくびで口を開け切ったところで、クスクスと唯に笑われた。
「光、バカっ面じゃん」
「見んなよ…」
すぐに口を覆い隠し目を逸らしたが、唯はしばらく笑って俺を見つめていた。
「おーい、大事な話するから静かにな」
そう担任が声を張ると同時に、校長の校内放送が始まった。
「えー、みなさんおはようございます。
数週間前から報道されているのでご存知だとは思いますが、我が校にもABC法案の浸透を目的とし、教育委員会からの通達が届いていますので……
ああこれだった。
真田のおばちゃんに言われた法案の内容。
今日本中で特定のテロメアが短くなっていく現象が起こっており、
どうやらその結果「B型」の特性が強く出るそうなのだ。
そして、その発現が見られる『新C型ニンゲン』の犯罪が、うなぎのぼりに増えているという。
「ねえ…光」
「なんだよ」
腕をつつかれ、唯のほうに首を傾ける。
「光はさ、A型だったよね」
机に突っ伏して小声で話しかけてくる唯の、色素の薄い髪が一房、柔らかそうな頬に落ちている。
桃のように柔らかそうなその肌の産毛が、陽の光の中で光っていた。
「おお。お前はO型だっけ?」
「そうなんだけど…お父さんがBO型でさ、もしかしたら私も発現しちゃうかもって…」
「マジか」
幼馴染の唯の、温厚なご両親の顔を思い出す。
俺が小さい頃は、夜遅くまで仕事で帰ってこない母ちゃんに代わって、唯のご両親が事あるごとに気にかけて世話してくれた。
サッカーでドロドロになった俺を呼び止めて、シャワーを浴びさせてくれた。
湯気に包まれて浴室を出ると、
「食べてくでしょ?」
と当たり前のように大盛りのカレーが盛られたテーブルに通され、唯の父さんが隣からわしゃわしゃと髪を拭いてくれたっけな。
家族のように温かい人たち。
どんどん生意気になっていく幼馴染ではあるが、俺にとってはやっぱり大事にしたい人たちだった。
「透さん、大丈夫か?」
「うん、今のところ何もないよ。でもね」
「でも?」
「あの薬、家族全員で飲んだほうがいいって…。ねえ、光はどう思う?」
「ん、まあ…。
発現を抑えられるんなら飲んだほうがいいんじゃね?」
「そう…だよね」
唯の瞳の奥が、水面のように微かに揺れた。
予防できるもんなら、しておいたほうがいい。そのほうが、唯の家族にもいいはずだ。
俺はこの時の発言を、死ぬまで忘れない。