大学時代の恩師がマダガスカルにいらっしゃった。 相変わらずの恩師に少しホッとしながら、相変わらずの私でいなければとも少し思う。 彼女は、誰がなんと言おうが、私の「恩師」という言葉に間違いがないほどに、大学時代から私の国際協力人生を支えてくれている人だ。 インタビュー 今回の訪問の大きな目的は、研究のためのインタビュー調査。 JICAや国連機関やNGO等への緊急支援に関するインタビューに同行させてもらった。 私は隅っこで聞いているだけで良いと思い油断していると、「何か質
あと7ヶ月。 最近はその7ヶ月という残された時間の短さに切なくなる。 なんにもできない私は、周りの人に助けられてばかり。 誰かの先生だったり、 誰かの同僚だったり、 誰かの友だちだったり、 誰かの娘だったり、 誰かの孫だったり。 誰かが私の先生だったり、 誰かが私の同僚だったり、 誰かが私の友だちだったり、 誰かが私の遊び相手だったり、 誰かが私のお母さんだったり、 誰かが私のおばあちゃんだったり。 自転車で一本道を走れば、 何人の人が私と挨拶を交わし、 何人の人が
途上国とはいえ、ピンキリ もちろん、私はキリの生活。 首都にいる日本人の暮らしは羨ましかったり、厚かましく思えたりする。 運転手付きの車にのる人 出張だの休暇だので私の見たことないマダガスカルを行く人。 「〇〇は良かったですよ〜」という会話の多いこと。 マダガスカル人に英語又はフランス語で捲し立てる人。 組織での自分の生き残りばかり話す人。 オンラインやら何やらで自己研鑽する人。 それに比べて私は、 いっぱいにならないと動かないバス。 任地に留まることが
久しぶりに旅行をした。楽しかったが、帰ってきてなぜかホッとした。 自分の任地はやっぱり居心地がいい。 なんでもない街だけど、ここは私の居場所だと感じる。 最初は腹が立って仕方なかった野次も最近は無くなった。 すれ違う人々もだいたい顔見知りになった。 「昨日も魚だったよね⁉︎」と言えば、照れ臭そうに笑うおじさん。私たちは独身同盟。 道を歩けばどこからか私の名前を呼ぶ声が聞こえる。 「うちに寄ってって〜」と叫ぶおばちゃん。 「もう遅刻してるから、急がなきゃー!」と叫んで返
「泣いてたん?」 日曜日の昼下がり、母にビデオ通話をするなり、母はそう言った。 実際は、泣いていなかった。しかし、母のその言葉とともに、心の中で堰き止めていたものが溢れだした。 私は疲れていた。 正直なことを言うと、最近私自身を理解することができず、私は何に疲れているのかがわからなかった。 体調が悪いわけでもない、寝不足なわけでもない、人間関係で揉めているわけでもない、そして、順調とは言わないがなんとなく活動も行っている。 ただ何か、人には言えないモヤモヤがずっと
地域の保健ボランティアの要望で、栄養デモストレーション等の生活改善に係る講習会を始めました。ついでに、日本語教室と英語教育も始めました。 はじめに、お母さんたちと話しながら計画を作りましたが、日本語や英語を勉強したいという要望がとても多い。そして、強いて言うなら「なにかを学びたい」という女性はとても多いように思います。 ここに来る前、農村開発などを本で学んでいたときは、「お母さんたちはやることがたくさんで忙しい」と思い込んでいました。 専業主婦又は農業等の兼業主婦のお母
結局、何もできなかったな〜と思いながら、日本に帰るのかもしれないな。
マダガスカル人の収入について述べられた記事を読み、何だか書きたくなったので少しだけ。 翻訳アプリを使いながらなので、どこまで正確に理解できたかは、わかりません。そして、途上国の統計データ故にどこまで信憑性が高いかも怪しいですが、、 非正規雇用、正規雇用に関わらず、 最低賃金⇨250,000アリアリ(約7500円) 平均月給⇨196,359アリアリ(約5880円) 月給中央値⇨108,250アリアリ(約3247円) だそうです。 平均値・中央値ともに、最低賃金以下という辛
活動みたいなことはしてないけど、お母さんたちといっぱい喋って、それぞれの話聞けたから自分的に満足なのよな〜。
マダガスカルに来て、1年が過ぎ、JICA事務所で中間報告を行った。自分がマダガスカルでしてきたことを報告しなければならない時間。遂に私の番だ。 この1年間、先輩たちの報告を聞くたびに、自分は何も話せることがない気がして、胸が詰まっていた。しかし、もう逃げられない。 私について話すと言うこと。 私は、自己開示はあまり得意ではない。と言うよりも、自分について話すことが怖いのかもしれない。しかしながら、私を知ってもらわないと、私がここで感じていることを理解してもらえないような
マダガスカルに来てから1年が経とうとする4月、私は日本で2週間の休みを頂いた。 「やっと、ここから抜け出せる」 そんな本音はマダガスカルの人には言えるはずもなく、 「92歳のおばあちゃんの誕生日を祝いに帰る」 とマダガスカル人が納得しそうな理由をつけて戻ってきた。 関西空港に到着した。 出国ゲートで待っているはずの両親の姿が見当たらず、とうとう親不孝な娘は見放されたのかと思ってしまった。本当は、もう一つのゲートに行っていただけだったのだが。 久しぶりに見る両親は、なん
noteを書こうとしていますが、筆が進まず、、、。しばしお待ちを。 なんだか、「何を感じるか」に鈍くなった気がする。
今日の昼下がり、JICA事務所に用事があり、立ち寄った。 突然、考えもしていなかったVCさんとの面談がふらっと始まった。 そして、最後には私は決意表明をしていた。 「今、少しいいかな?」 声をかけてくれたVCさんは私の本担当のVCさんではないが、いつも気に掛けてくれて、活動の事以外にも進路のことや家族のことを話したりしている。 しかし、この言葉は、相変わらず苦手だ。 何もやましい事はないが、「怒られるのではないか」というセンサーが作動し、この言葉を聞くと、いつも心臓が
やっぱり、色々とジェンダーに食いかかってしまう。 3月8日、国際女性デー。 「女性たちがお揃いの服を着て行進するので、一緒に行こう」と同僚に言われていたが、同僚も私も結局行かなかった。 そして、昼過ぎに仲良しのお母さんの家に行った。 「なんで行かなかったの?」と聞かれ、 「こんなにも女性の問題があるのに、何を祝ったらいいかわからない。この炎天下に2kmも歩いてなんの意味があるのだろうか」 とぽろっと本音が出てしまった。 音楽や踊りを通して楽しむのが好きな人たちだ
家の外で我が家の番犬が寝息を立てている。 犬の寝息に、懐かしい記憶と共に寂しさを感じ、なんだか体が縮こまる。 海外生活は、累計すると約3年。 ホストファミリーと過ごしたり、寮生活をしたり、そして今は一人暮らし。 すっかり一人暮らしに慣れてしまった。 誰かの寝息を聞きながら、眠りに着く生活から離れてしばらくする。 今は、セミダブルのベットに1人で優雅に眠りに着いているが、実家ではそんな広々とした寝床はなかった。 姉と母と寝室を共にしていた時もある。 祖母と二人暮らしに
保健ボランティアのおばちゃんたちが、栄養改善の料理教室をするぞ! と意気込んでトマトスープを作ってみたが、中に入ってる大豆が一向に煮えない。 料理選びをミスりましたね。 なんだか申し訳なかったけど、「来週は時間のかからないかぼちゃプリンを作ろう!」と諦めずに続けるみたいなので、私もめげずに着いて行くことにします。 なんてったって、失敗は成功の母ですからね。 tssra be👍