わたしの地獄
きっと、この人にも地獄があるのだろうなあと最近思う。電車で隣に座った人にも、コンビニのレジで前に並んでいる人にも、誰かにペコペコ頭を下げている人にも、楽しそうに笑っている人にも。
地獄と表現しないまでも、きっと苦しみや悲しみはあるだろう。その苦しみに直面したときの心の傷だって立派な地獄だ。
けれどわたしには、その人たちの地獄を完璧に覗き見ることはできないし、想像することもできない。
こんな辛いことがあってね、と詳細を聞くことはできても、その時の感情を、コピーしてわたしに貼り付けることはできない。感情だけは、絶対にその人のものだ。
だからもちろん、わたしの地獄を他の人は味わうことができない。どれだけ「辛かったね」「苦しかったね」と言われても、わたしの負の感情はどこへもいってくれない。一時的に姿を消したかと思えば、またひょんなことから顔を出す。厄介極まりない。
この世には天国よりも地獄の方が多いのではないかと思う。ポジティブなイメージより、マイナスのイメージの方が脳に焼き付きやすいからかもしれない。負の感情はなかなか消えてくれないからかもしれない。
わたしは毎日、自分だけの地獄を引きずりながら、どうにかこうにか生きている。手放したら楽だとわかっているのに、わたしは手放せずにいる。そしてときどき飲み込まれそうになる。
いつか、地獄をぶんぶんぶん回して、わたしの手の届かないところまでぶっ飛ばして、そして地獄ではなく天国を大切に大切に抱え続けたい。