【読書記録】星野道夫『旅をする木』文集文庫
haruka nakamuraの音楽を寝る前に聴くのが習慣になりつつあったある晩、haruka nakamuraのピアノ演奏と星野道夫の本の朗読のコラボレーションの動画を見た。みずみずしい星野道夫の言葉が素敵な音に乗って届き心が穏やかに満ちていくような感覚があった。
最近はいくら休んでも休んだ気になれず、なんとなく寄る辺ない気持ちで過ごしていたこともあって、日常から離れてどこか遠い土地に行きたいと考えていたところで、昔見た、ある作家さんがインタビューで「読書は旅に似ている」と言っていたのを思い出した。これをきっかけにと星野道夫の『旅をする木』を手に取った。
星野道夫というとヒグマに襲われて亡くなった写真家という知識しか持ち合わせていなかった。彼は10代の頃にアラスカに魅入られ、26歳でアラスカに渡り、その地の自然と動物たちの生き様を写真を撮り続けたようだ。アラスカの地に生きるエスキモーやインディアンの多様な生き方、ホッキョクグマやザトウクジラ、オオカミなど多くの野生動物が逞しく生きる姿、天空の星空やオーロラの情景が、33篇のエッセイに豊かな詩情で綴られている。
自然の雄大さを考えるときに、まっさきに脳裏に浮かぶのがニュージーランドで見たテカポ湖の星空。世界でも3個所しか登録されていない、最も美しい星空を見ることのできる場所として「星空保護区」に指定されている。夜間ツアーに参加して、夜中の9時頃に目の前が全く見えないほどの真っ暗な湖のほとりに集合、車に乗ってる標高1000メートル以上にあるマウント・ジョン天文台まで登った。天文台から見る手が届きそうなほどの天井の輝きを今でも鮮明に覚えている。
ツアーのガイドさんが、星の瞬きは、何億光年前の光がたどり着い多ものだと教えてくれた。夜空の星を仰ぎ見ることは、宇宙の長い長い歴史を一瞬でも見ること。言葉では理解できても、本質的に理解することは難しいと感じた。
あるいは、幼い頃にどこかの山に遊びに行ったときの記憶。森の奥にユリの花がすくっと立って咲いていることにいたく驚いたことがある。その凛とした佇まいに目を奪われて、まるで時間が止まってしまったようだった。花屋に並ぶわけでもなく、花瓶にいけられるわけでもなく、誰一人として愛でることもないような場所で、一体何のためにユリはきれいに咲くのだろうか。昆虫との共生のためであるのだろうけど、植物が生き抜くための術が人間の目から見て美しいということが不思議でならない。
海にしても川にしても山にしても、人間のためでも誰のためでもなく、ただそこに存在する。人間のことなど意に介さず、むしろ拒絶するような荘厳さに、畏怖の念を覚えることしかできない。
厳しく優しい自然の中で著者は友を失っている。そして彼自身も熊に襲われて落命している。死すべき人間のはかなさを肌身に感じてきた著者が残した宇宙観に触れ、遠くへ行かずともアラスカの地に思いを馳せる時間になった。