時刻は6:30。日が出ていない薄暗いリビングのソファーで娘が太宰治の『人間失格』を読んでいた。 いわゆる「本の虫」というのだろうか、いつも平日の朝は本を1~2冊読んでから学校に向かう。 今日は娘が小学校の遠足でミュージカルを見に行くので お弁当づくりのためにキッチンに立たねばならない。 普段、朝にたいした会話を交わした記憶がない。 わたしはどちらかといえば朝は静かに過ごしたいのだけど、娘はアップテンポな音楽を流しながら本を読んでいることが多いので、過ごす空間を分けている。
9月上旬に箱根に行ってきた。 2泊3日で、温泉と美術館、ご飯と散歩を楽しむ旅程。 808 Monsmare→ラリック美術館・オリエント急行→ポーラ美術館→芦ノ湖と巡ってきたので、その記録。 写真はNikon Z50と、ときどきDazzカメラ(アプリ)を使用。 808 Monsmare箱根湯本から徒歩7分ほどの場所にあるイタリアン「808 Monsmare」 もっぱらピザが美味しいとの噂で訪問したけど、ピザはもちろん、コーンスープ、季節の野菜の燻製、ワイン、なにもかもが美味
異常な早寝早起きの生活が続いている。 さきほどもam1時前に目が覚め、もう一度寝ようにも頭が冴えてしまったので、購入していた東浩紀×東畑開人×山崎孝明の鼎談を視聴。「心の臨床の思想とはいかなるものか――観光客と村人で語り合う」というタイトル。3時間もの長さがあり、いまちょうど質疑応答タイムに突入したところである。とても面白かった。 現実との出会いについて。東さんも東畑さんも大学という純度の高い環境から出て雑種的な現実に直面する中で、教わった理論や観念、臨床手法では複雑な現実
やほー、サイバーハルカだよ〜。 「ハルカ」って名前のことなんだけどさ、Mが昔飼ってた犬の名前と一緒なんだってさ。丸くてコロコロとしてて、「ハルカ」って呼びかけると一目散に駆け寄ってきたのが可愛かったのよ。懐かしいわ~。まぁ、犬を飼ってたっていうのも架空の話なんだけどね~。 で、今日のMなんだけど、締め切りラッシュで限界突破してるみたい。なかでもここ1ヶ月くらい格闘してる論文の査読があってさ、もう数えきれないくらい分析をやり直しては唸ってたのよね。それでもさ、無慈悲にも数日
やほー、サイバーハルカだよ〜。 最近もう一人の人格Mがさ、あれこれ考えたことを言語化するのめんどくさいーって、日記をサボるようになったのよ。あまつさえ、自分の考えとか行動ってそのまま書くとなんだか偽善者っぽくなるって、記録するのがあんまり得意じゃないフェーズに入っちゃったみたいなの。だから私が代わりに書いてるわけ。まあ、サイバーハルカの人格も、もう一人の人格Mも、架空なんだけどね~。 さて、この週末にとある学会に初参加してきたってわけだけど、まあさ、結論から言うと「行って
交差点 信号機 排気ガスの匂い クラクション 壁の落書き 破られたポスター
久しぶりの更新。 6月、目にも止まらぬ勢いで時間が過ぎ去っていった...。よく遊び、よく研究をし、たくさんの書類を現在進行形で書いている。あと、いつも以上にたくさんなくし物をしたのが地味にダメージ大きい。クレジットカード、社員証、Suicaを全部紛失する失態をおかし、人間をやめたくなる。反省の嵐。 6月はほとんど日記も書けなくて、でも記憶からすっぽり抜け落ちるのも悲しいので、ここ数日で訪れた場所などの記録でも。 ・小石川植物園 15時半に白山駅到着、植物園の最終入園が16
この靴をあなたの顎にぶつけたい恒星として出会い直したい
Amazonアカウントが消えた(手違いで解約手続きをしたのが5日経っても生きてたから油断してた)。一昨日夜の日を跨ぐ頃に書籍を買おうとしたらログイン画面に飛ばされて、あ、消えたんだと気付いた。数日経って急に悲しみがどっと押し寄せてきてつらい....。復活不可能だし、人は無力。
戸谷洋志『哲学のはじまり』を読み返した。薄くて字が大きいのでパラパラと読んで1時間かからず読了できる。もう3回くらい読み返している。哲学の三大領域(存在論、認識論、価値論)の基本を平易な言葉で噛み砕いて解説してくれていて、哲学書を読むときの見通しが明るくなる……気がする。解説もさることながら「はじめに」と「あとがき」の文章がめちゃくちゃいい。 今の世界で「当たり前」とされることを問い直すことが哲学の営みであると。 ただし、本当の意味で「哲学する」のはハードルが高い。単に知識
クリストファー・ノーラン監督の映画「オッペンハイマー」を観た。「数学は楽譜だ。楽譜が読めることが大事なんじゃない。音楽が聞こえるかどうかなんだ。君には聴こえるか?」序盤のシーンでケンブリッジ大学の学生だったオッペンハイマーにニールス・ボーアが言ったセリフが印象に残っている。数学とは、単に計算をしたり方程式を解いたりする能力だけを問うているものではなく、深く直感的に理解することが大事であるということなのだろう。一流の物理学者かそうでないかかを分ける分水嶺が直観力だと聞いたこと
haruka nakamuraの音楽を寝る前に聴くのが習慣になりつつあったある晩、haruka nakamuraのピアノ演奏と星野道夫の本の朗読のコラボレーションの動画を見た。みずみずしい星野道夫の言葉が素敵な音に乗って届き心が穏やかに満ちていくような感覚があった。 最近はいくら休んでも休んだ気になれず、なんとなく寄る辺ない気持ちで過ごしていたこともあって、日常から離れてどこか遠い土地に行きたいと考えていたところで、昔見た、ある作家さんがインタビューで「読書は旅に似ている
2月上旬の山の上ホテル訪問を振り返って。 目の前の大学に10年近く通っている身としてはたまに会う長い付き合いの友だちのような存在。あの時あの人とカフェでお茶したな、とか、天ぷらを食べにいったな、みたいな記憶を共有している。 ホテルは御茶ノ水駅の近く、大通りを折れて少し坂を上っていったところにある。都内にあるのに、どことなくひっそりとした雰囲気が漂っていて、アンティークな内装と相まって時間が止まってしまっているかのよう。ホテルはひっそりしているに限る。 三島由紀夫も次のよう
第5章:テクノロジー・オブ・フーリッシュネス この章では「愚かさのテクノロジー(technology of foolishness)」に焦点を当てている。 ここで言う「愚かさ(foolishness)」とは、一見非合理的であるが、実は新しい視点や可能性を開くための思考を指す。この理論の核心は、おもしろい(=革新的な)人や組織が持つ、従来の枠組みにとらわれず、既存のパラダイムを逸脱して新たな視角を提示する力にある。 組織の発展過程においては、ある程度の慣性―すなわち、合理
「お先にどうぞ」 目の前に並んでいた小学生らしき風貌の男の子に声を掛けられる。 本郷三丁目駅の改札前でSUICAの残高が足りないことに気づいたわたしは、精算機に並ぶ少年のうしろに立った。残高不足で改札に止められるたびにオートチャージ設定にしていないことを悔やむ。 そして、先のように声をかけられるのであった。手元のスマホから目をあげると、こちらを見上げる少年と目が合った。 どうやら精算機の順番を譲ってくれようとしているらしい。こういう場面で後ろの人を優先するように教えられて