オシム監督の言葉の意味を、未だに私は考え続ける。
2022年5月1日
日本サッカー界に大きな影響を与えたイビチャ・オシム氏が、お亡くなりになりました。
多くの方がオシム氏への追悼コメントを出していますが、その一つ一つを読むたびに、オシム氏が多くの人に深く愛され、サッカーに留まらず人生に大きく影響を与えた人物だと感じました。
以前の記事で、私の生活に一度離れたサッカーが戻ってきたのは長谷川健太監督のおかげだと書いたことがありました。
ただ、一番最初に私の生活にサッカーが入ってきたのは、オシム監督のおかげでした。
私も、当時オシム監督の影響を受けた一人のサポーターで、感謝してもしきれません。
オシム氏が日本を離れたその日から、いつかこの日が来ることは覚悟していました。
しかし、いざその日が来ると、なかなか受け入れられない自分がいます。
今日はそんな私の心の整理と、オシムさんへの追悼文として記事を書きたいと思います。
中学生にも心惹かれるものがあった
繰り返すようで申し訳ないのですが、私がサッカーにのめり込むのに影響を与えた人物が3人います。
原博実
長谷川健太
————そしてイビチャ・オシムです。
イビチャ・オシム氏が日本でのキャリアをスタートさせたのは、2003年 ジェフ市原(現:ジェフ千葉)の監督に就任してからでした。
当時私は中学2年生。
父の影響で、Jリーグ開幕当初からサッカー中継が流れる環境で育ってきていたのですが、中学に入る頃には、意識して見るサッカーの試合は代表戦くらいになっていました。
正直、初めてジェフの試合を観たのがいつかは覚えていません。
2003シーズンのどこかでテレビ中継されていた試合を偶然観たのだと思います。
ただその試合で、オシム氏が指導するサッカーの代名詞でもある「考えて走るサッカー」「ポリバレント」に、13歳の私は一瞬で魔法にかかりました。
「何だか分からないけれど、ワクワクする!」
「こんなに早い展開で、目が離せない!」
今でもオシム氏が指揮したジェフのサッカーを思い出す度に当時の想いが鮮やかに蘇ることからも、中学生の私にとって衝撃的なサッカーだったのだと思います。
今よりももっとサッカーのことは詳しくなかった私でさえ、「サッカーって面白い!」と気付かせてもらいました。
そしてオシムさんの魅力は、ピッチ外でも発揮されていました。
私も毎試合アップれされる「オシム語録」の大ファンでした。
ライオンに追いかけられるウサギが肉離れをしますか?等、数々の名言が生まれる瞬間をLIVEで体験し、そして会見に集まる記者を翻弄するウィットに富んだやり取りにすっかり夢中になりました。
私の感性の斜め上(どころか当時は遥か彼方のように感じていました)を行く含蓄ある発言は、中学生だった私にも深く染みわたって、人生の奥深さとオシムさんの度量の大きさを感じ入るばかりでした。
次は何を話すんだろう、これはどういう意味だろう、一体オシムさんは何を考えているんだろう。
オシムさんが口を開くたび、私は知的好奇心を伴う心地よい混乱を感じていました。
一筋縄ではいかない、そして人を惹きつけてやまない魅力がオシムさんにはありました。
いえいえ、ご本人はそう言いますが、あの時、ジェフ千葉サポ・Jリーグファン・日本のサッカーファンは、間違いなくオシムマジックにかかって虜になっていましたよ。
2004年のナビスコカップ決勝の試合をきっかけに私はFC東京サポーターになるのですが、2006年にオシム氏の退任が決まるまで、ジェフの試合は噛り付くように見ていました。
一サッカーファンとして、どのチームを応援しているとか関係なく、オシムサッカーは面白く、いつも私をワクワクさせてくれるのです。
今回の訃報後、オシム氏を特集したジェフのドキュメンタリーを見ました。
15年以上前の試合のはずなのに、今見ても決して「古い」とは感じず、当時“人もボールも動く”と形容されたサッカーは、今のトレンドに通じるものがあるように感じました。
2003〜2007のオシムさんにはきっと、2022のサッカーが見えていたんでしょうね…。
オシムチルドレンを通して、オシムさんを感じる
オシムさんを語るのに欠かせないのが、「オシムチルドレン」と呼ばれる選手たち。
選手としての元々の素質が素晴らしいことはもちろんなのですが、オシムさんの指導を受け、より輝きを増した選手たちが数多く存在しました。
ジェフで言えば、阿部勇樹さん、羽生直剛さん、佐藤勇人さん、水野晃樹さん…
日本代表では、鈴木啓太さん、中村憲剛さん…
挙げればきりがありませんが、現在アラフォー世代の元日本代表の選手たちがオシムさんの指導を受け、より輝きあるプレーを見せてくれました。
ニュウさん(羽生直剛さんの愛称)がFC東京に来てくれた時は嬉しかったな…。
オシム氏が指揮するサッカーの中軸を担っていた選手だったので、ジェフ時代にもニュウさんのプレーはよく見ていました。
勢いそのままにFC東京でも活躍してくれて、今でも大好きな選手の一人です。
引退した現在も、クラブナビゲーターとしてFC東京に残ってくれて、青赤パークオンラインでは深い考察を絡めたサッカー解説をして下さいますが、言葉一つ一つからニュウさんの知性の高さを窺い知ることができます。
幼い私が心躍った「賢く走る」「考えて走る」サッカーを体現するためには、知性面も非常に大事なのだと、ニュウさんを通して思います。
ニュウさんだけではなくオシムチルドレンと呼ばれる選手達からは、オシムさんが日本を離れた後も、オシムさんへの尊敬・愛を感じることが多々ありました。
だからこそ、オシムさんの訃報が伝わった時の、各選手たちのコメントにはぐっとくるものがありました。
今回の訃報に接して思い出したのですが、中村憲剛さんが初めて日本代表に呼ばれたのは、オシムさんの時だったんですね。
私は中村憲剛さんのプレーも非常に大好きで、彼が引退する前の最後の等々力の試合も見に行ったくらいなのですが、彼のことを知った一番最初は日本代表でのプレーでした。
彼のプレーはまさしくオシムさんが大事にしていた「水を運ぶ選手」であり、日本代表でのプレーを見て、献身性の高さにすっかり惚れこんでしまった記憶があります。
オシムさんが、縁の下の力持ちである選手のことを「水を運ぶ選手」と名付け、意識化させてくれたからこそ、中学生の私は中村憲剛選手の良さに気付き、また一つサッカーの面白さを学ばせてくれたのだと思います。
人生に影響を与えた「オシム語録」
私がこんなにもオシム氏に惹かれるのは、彼がサッカー監督に留まらず、揺るがない信念を持った哲学者でもあったからです。
ただご本人は、そう言われると素直に返してはいなかったようですが…
今でも私を支えるオシム語録を、何度も何度も読み、既に引用でも使わせて頂いた2冊の書籍(木村元彦著(2008)「オシムの言葉」集英社、千田善著(2009)「オシムの伝言」みずず書房)と共に、振り返りたいと思います。
当時、仏・日韓W杯を経験し、ドイツW杯で惨敗を喫し、日本のサッカーはこのままでよいのだろうか、世界から遅れを取っているのではないか、と感じていました。
そんな中、オシムさんの「日本化」宣言は、私を非常に勇気づけてくれるものでした。
日本人には日本人の良さがある。
外国人であるオシムさんだからこそ気付く「日本人の良さ」を教えてもらい、そしてまだまだ日本はできるんだ、と思わせてくれた経験でした。
オシムさんの代名詞とも言える「水を運ぶ人」という表現。
中学生の私でも、その言葉が意味するところは何となく分かっており、今に至るまで心にずっと残っています。
大人になるにつれ、サッカーだけに限らず、実社会にも非常に通ずる言葉だと実感するようになりました。
縁の下の力持ち―――「水を運ぶ人」の意訳を私はそう解釈しているのですが、大人になるにつれ、この「水を運ぶ人」の大事さをより痛感しています。
ソーシャルワーカーという仕事に就いた時から、「水を運ぶ人」というワードはいつも私の中にありました。
私も上質な「水を運ぶ人」でありたい、そして相談に来られる方々には悩みながらも最終的に自分自身の答えを見つけてほしいと思うのです。
このように、オシムさんはサッカー監督ではありましたが、彼の言葉はサッカーに留まらず、人生にも通用する名言が多く残っていると感じます。
これはまさしく私がオシムさんに惹かれてやまない最大の理由なのだと思います。
「何故?」「どうして?」「何を言いたいのだろう?」
オシムさんの言葉を考えるときには、まず最初に疑問符が付きます。
彼の言葉の表面をなぞって分かった気になっていると気付かないのですが、たくさん考えている内に、オシムさんの言葉の裏側に隠された深みを感じるのです。
考えなければ真相に近づけない、そこがオシムさんの人としての深さであり、私も誰かにとっての何か新たな気付きを与える存在でありたいな、と思うのです。
シュワーボ オスタニ
オシム氏の訃報が伝わった翌日、JFAよりこんなリリースがありました。
見た瞬間に、これは行かねば、と思い、無理やり付き合わせた夫と共に、早速日本サッカーミュージアムを訪問しました。
JR御茶ノ水駅から徒歩約10分。
日本サッカーミュージアムは、大通りから一本入ってすぐのところにありました。
1Fエントランスにて展示されていると書いてありましたが、入るとすぐにわかりました。
他の展示に目を奪われる夫を横目に、私は一直線にオシムさんの展示へ。
今までのオシムさんの功績や、著書、ユニフォームやトロフィー等の記念品が展示されていました。
その一つ一つを見るたびに、当時の思い出が蘇ります。
(アジアカップ、優勝したかったな…)
展示品を見てるうちに、自分でも忘れていた幼い頃の記憶が鮮明に蘇りました。
私の生活の中に、いかにサッカーが共にあったか、そしてその楽しみを最初に教えてくれたオシム氏の存在を、ありありと感じました。
ミュージアム内を一通り巡った後に、最後にもう一度オシム氏の展示に戻り、写真の前に立ちました。
Rest In Piece
日本での活動を終えて帰国した後に、母国での活動も耳にしていたからこそ、今は安らかに眠ってほしいと思います。
でも、木村元彦氏の著書に書いてあった言葉を引用して、本当はこう言いたい。
「シュワーボ オスタニ(ドイツ野郎、残れ)」
叶わぬ夢だとわかってはいます。
それでも私は、オシムさんが思う「日本化」された日本代表を見てみたかった。
あのワクワクするサッカーを、もう一度見たかった。
当時を知る多くのサッカーファンもきっと、同じことを思っていると思います。
もっともっとオシムさんのサッカーが見たかった。
もっともっと色々なことを学びたかった。
中学生から高校生は、人生の中でも多感な時期です。
私はその時期に「イビチャ・オシム」という人物を知り、そして大きな影響を受けました。
直接指導を受けた訳でもなければ、言葉を交わしたこともない。
でもメディアを通して見る彼の姿、そして何よりピッチ上で表現されるオシム氏が指揮したサッカーから教えてもらうことはたくさんありました。
きっと後にも先にも、こんなに偉大な監督は現れないでしょう。
ありがとう、オシムさん。
願わくば、今年のカタールW杯での日本の戦いを、是非見てほしかった。
そして造詣深いオシムさんから何が語られるのか、それを楽しみにしたかった。
今の日本のサッカーは、オシムさんが勇気づけてくれた「日本化」へと向かっているのでしょうか。
その答えを今となっては知る術がありません。
だからこそ私は、これからの日本代表を応援し続けることで、その答えを考え続けたいと思います。