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【短歌一首】 幼少に運動神経育みし公園の夏半世紀ぶり

幼少に
運動神経
育みし
公園の夏
半世紀ぶり

先日、久しぶりに生まれ育った街を訪れ、幼い頃よく遊んだ公園を訪れた。
夏にこの公園に来るのは、多分、50年ぶりくらいだ。

当時、友達と、あるいは一人で、本当によく遊んだ。この公園が自分の運動神経の多くを育んでくれたと言っても過言ではない。そのくらいお世話になった。

朝早起きして遊び、学校が終わったら帰宅後友達と集まって遊び、夕方風呂に入ってからまた遊んだ。夏の風呂上がりに公園に行くのは気持ち良かった。風呂入ったのにまた汚れるから親に嫌がられたが。 いつもその時間帯に草笛がとても上手い謎のおいちゃんがいて、そのとなりで聴いていた。

砂場と藤棚と山

公園全体の造りはほとんど変わっていないように思える。奥の砂場では立ち幅跳びや走り幅跳び、体操系の回転技(当時、地上回転とか空転とか言っていた技)を練習した。 砂場の棚の鉄柱の間にゴム紐を渡して高さを調節しながら高跳びの練習も。 公園の規則では禁止事項だったが、棚の上にもしばしばよじ登り、コウモリみたいに足を引っ掛けて逆さまにぶら下がっていた。

大きな木と山

公園の中央にある大きな木は、子供の頃は単に小さな目印としていた添木のある数十センチの小枝だった。年十年も経ってこんなに大きくなったか(遊びの邪魔になりそうだが)。 

山の周りはリレーの周回コース、山の斜面はいろいろな角度で小技を駆使しながら滑り降りる。それぞれの子供が勝手に命名した色々な技があったな。山のとなり鉄橋や雲梯(うんてい)があったが無くなっている。自分もそこで怪我したことがあったが、危険性が高いので撤去されたのか。楽しい遊具だったのでもったいない気もするが。

ブランコ

以前とは向きが変わっているが、ブランコは本当にエキサイティングだった。立ち漕ぎやアクロバティックな乗り方をして、思い切り漕いだ後にブランコから飛び降りる。これにも捻り技や回転技があった。小学校中にも広がるくらい有名になった技の名前もあり、クラス担任先生から注意されたことも。

一度、友達がコンクリートの角におでこを叩きつけパックリ割れて大出血して、みんなでオロオロしながら近くの医者(保健所)に運び込んだ。しばらくコンクリートに血のしみが残っていて、それを友達とよく確認していた。

中央ライトポール

公園中央にあるポールは、かくれんぼや「ボコペン」という遊びの起点となるところで、鬼の基地となったり、鬼に捕まった子供が集められる。

公園近くのアパート

これも公園規則の禁止事項だが、ボール遊びもよくやった。ここで友達とボールを蹴っていたら、自分の蹴ったボールが公園の外に出て、公園に面しているアパートの窓ガラスを割ったこともある。ちょうど自分の親が不在で、友達と友達のお母さんと一緒にお詫びに行った。アパートの名前が月見荘だったことは今でも鮮明に覚えいている。

半世紀ぶりの夏の公園にいるといろいろ懐かしい記憶が蘇る。一番怖かったのは、暴れん坊の上級生や他の小学校の知らない上級生に絡まれたり、ぶっ飛ばされたり、袋叩きにあったりすること。 子供ワールドのエキサイティングで貴重な社交場だから、テメエは目つきが悪いだの、生意気だの、遊び方が気に食わないだの、場所取りなどでしょっちゅう揉めた。ある意味、獣の縄張り争いみたいなものか。(上級生からの難くせはいつも理不尽で、それに抗って喧嘩するのはドキドキの経験だった。仮に勝っても後で別の上級生から呼び出される。 まさかその後何十年経っても仕事で同じようなことになっているとは・・・。歴史は繰り返す。)

今思い出してみると、朝早くから夜遅くまで、本当にバカみたいによく遊んでいた。学校から帰ってきてカバン置いた瞬間に飛び出したまま家に帰ってこないので、母親からは「鉄砲玉」と呼ばれていた。

これからもっと外で体動かして遊ぼうかな。

猫間英介



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