【短歌一首】 日の本の橋に首都高かぶさりていずこにあらむ江戸の生っ粋
子供のころから、時代劇や大河ドラマに登場する「日本橋」という橋は、いったいどこにあるのだろう、と思っていた。 日本橋の橋の上で、江戸時代の人が出会ったり、別れたりするシーンを目にするたびに興味を持っていた。
小学校高学年のときに社会科見学というもので日本橋を通ったときに、とても落胆したのをよく覚えている。 日本橋の上に首都高速道路がかぶさっており、下を流れる日本橋川の上もずっと道路に覆われていて、ほとんどその姿をしっかりと確認することができなかったから。
日本橋は、慶長8年(1603年)徳川家康の時代に、五街道(東海道、中山道、日光街道、甲州街道、奥州街道)の起点として定められた場所。
現在の日本橋は、明治44年(1911年)に架橋された、ルネサンス様式の石造二連アーチ橋。
日本橋の表示も首都高速の側面に掲げられている。日本橋川上空を走る首都高 都心環状線は、1964年の東京オリンピックを翌年に控えた1963年12月21日に開通。
首都高速道路が建造された1960年代は、既に建物が密集した東京都心部ではモータリゼーションの急拡大で、車の走る道が最優先で作られていた。土地買収・収用などの煩雑な手続きを回避するために、川や道路などの公用地の上空を使用して建設を行ったとされる。
明治44年(1911年)に架設された現在の日本橋はさすがに長い歴史を感じさせる風格がある。しかし、その素晴らしい重厚感も美しさも、首都高が大きく覆いかぶさっているのでその全体像をとらえにくい。 橋の上に空が見えないというのは、五街道の起点としてあまりに残念。
現在、構造物の長期的な安全性を確保するため、耐久性と維持管理性を備えたより強い構造へとリニューアルが進められているとのこと。
さらに、建物の地下にトンネルを整備し、日本橋地域全体のまちづくりと連携して開発が続いていく。日本橋川上空の首都高速道路は、2040年ごろまでに撤去される予定。 地下ルートの開通後、これまでの高架橋を撤去する工事が始まる。
東京観光のバスも多い。首都高の日本橋の表示も、周りの慌ただしさの中でずいぶんと霞んでいる。
どんなふうに日本橋界隈が変化していくにしても、歴史ある街:日本橋の「粋」と「美」を大事にしてほしいと思う。
猫間英介