【短歌一首】 大空に蹴りし楕円の球弾むその行き先を吾も知り得ず
短歌は人生の道しるべ、そして拠りどころ。
五月になると高校一年生の時の部活の始まりを思い出す。
高校の時にラグビー部に所属していた。
高校入学後、いろいろなクラブ活動の紹介を見て回った時、ラグビー部の部屋に入ったら扉を閉められ、「お前ら、ラグビージャージ買うよな。」と先輩が迫ってきて、半ば強制的に入部させられた。
五月ごろから本格的にきつい練習が始まり、毎年、新緑の季節になると当時の辛さ、苦しさが脳の海馬から引き摺り出されてくる。
一番最初に先輩から聞かされた言葉。
「ラグビーボール🏉は人生そのものだ。丸い球と異なり楕円の球はどのように弾み、転がっていくかどうか誰にも分からない。 だから、ラグビーは思い通りにならないことも偶然のチャンスもたくさんあり、怖く、そしてエキサイティングで面白いんだ。」
そのころは、ラグビーの楕円球🏉というのが取り扱いが難しく、投げても蹴っても転がっても思い通りにならなくてイライラした。中学生の頃はバスケ部🏀に入っていたので、よく転がったラグビーボールをそれまでの癖でバスケのように手でドリブルしてしまい、先輩に怒られた。だから、先輩の言葉の意味など真剣に捉えたこと全然なかったな。
ラグビーの元日本代表選手で、その後全日本の代表監督を務め代表チームを率いて、当時絶対勝てないと言われていたスコットランド代表チームを破った宿沢広朗さんが、2006年に55歳で山登りの途中で急逝された。宿沢さんは日本のメガバンクで史上最年少で役員となり、金融のトップで活躍しながらラグビーの日本代表チームの監督も務め、チームを牽引し素晴らしい成績を残したラグビー界、ビジネス界で伝説的な人。
宿沢さんのお別れの会で、宿沢さんの盟友が弔辞の中で、次のような言葉を述べたことを、後からメディアで知った。
この言葉を知った時、高校入学当時に先輩が言っていた言葉を改めて思い出した。
本当に何が起こるか分からないのが人生。
幼稚園から高校まで一緒だった親友と、高校のラグビー部のバックスでセンターとウイングというポジションでコンビを3年間組んでいた。彼は、40代の初めに発病し、その後闘病生活を送っていたが、49歳で亡くなった。
5月の新緑の季節になると、高校一年生の部活が始まった時の、期待や不安、そして練習の緊張感や疲労感がまざまざとよみがえる。一緒にプレイした仲間たちの顔とともに。
何が起こるか分からない人生だからこそ、一日一日、一瞬一瞬を大事に丁寧に生きていきたい。
そして、そんな行先のわからない人生でも、短歌は私を明日へ誘い、導いてくれる、私の人生の道しるべであり、拠りどころである。
猫間英介