【短歌一首】 14時の街より人は逃げ失せて影見当たらぬ灼熱の道
それにしても今年も暑い。しかもかなり早い時期から猛暑が続いている。
まだ梅雨中のはずだが、7月の第一週にすでに各地で35度超え、中には40度近くまで達した場所もある。
昨日(7月5日)も朝の天気予報ではすでに28度、まもなく30度を超えて、最高気温は35度近くになると言っていた。容赦なく暑い一日が始まった。
どこを歩いていても、日中は影がない。近くまでの買い物がまるで灼熱無人ロード。どこかから救急車のサイレンの音が聴こえてくる。熱中症になった人を搬送するのだろうか。
コンクリートで覆われている街中は、地表からの反射熱がきつい。身長が低く地表からの距離が短くなる小さな子供は、この地表からの熱に要注意と小学校の頃習ったな。
そう言えば、自分が子供だった頃の昭和の時代に、「熱中症」という言葉は聞いたことがなかった。良い意味で「熱中時代」というドラマの言葉はよく使われていたが。よく親や先生から言われたのは、太陽の熱く強い光にさらされて体調を崩す「日射病」に注意せよ、太陽の下では帽子をきちんと被れ、ということだった。
改めて調べてみると
なるほど、今は室内にいても脱水症状で体調を崩すなど、以前とは比べ物にならないくらいいろいろの症例があるから一番広くカバーする「熱中症」という言葉を使っているのか。
毎日、ニュースで暑い時間帯に外に出るなとか、喉が渇く前から水分補給をまめにとか、命の危険のレベルとか、最大級の警戒を呼びかけているのを聴くと、もはや暑さ自体が災害のレベルになっている。
自分にとって短歌は気候・天候鑑賞のセラピーである、と日頃、思っているが、毎年異常なくらい暑い夏の一時期は、五感で、心でその日の天気や大気を味わうという行動原則に揺らぎが生じてしまう。体は暑く汗だくになり、心も体も反応が鈍くなり、暑さから逃れることだけを考えてしまう。
この暑さを嘆くだけではく、暑さもうまく受け入れ、ときに受け流して、短歌で灼熱の夏を詠んでいきたい。
今日も朝からとても暑い。
猫間英介