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【短歌一首】 盆の夜怯ゆる子らと墓地巡る母の教育いま効問はん
盆の夜
怯ゆる子らと
墓地巡る
母の教育
いま効問はん
鎌倉は至る所に祠やお墓がある。そして山や森や切り通しなど、鬱蒼とした木々に囲まれながら歩くことも多い。
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鎌倉に限らず、いろいろな場所、特に自然が多いところを散策していると、いつも知らず知らずに怖い想像を働かせて、怯えながら喜んでいる自分がいる。
ここに落武者が現れたら、あそこの暗がりに物の怪がいたら、この祠にしゃれこうべが落ちていたら、あの池から河童が出てきたら、向こうの木からヤマタノオロチが降りてきたら、などなど、どんどん妄想が膨らむ。
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鎌倉の寿福寺近くの岩穴も、どうしても人の目、人の顔に見える。
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先日、鎌倉を歩いていて改めてそんな自分に気付いた時、ふと思い出したことがあった。
子供の頃、お盆になると夜暗くなってから母が子供達を引き連れて墓地や暗い神社などを散歩していた。子供たちは、怯えたり、時には泣いたりすることもあった。
おまけに歩きながら、母が怖い怪談話をするのだ。向こうの灯りを頼りに訪ねてゆきその家の人に声をかけると、振り返ったその顔が「のっぺらぼう」だったとか、首に何かが触れるので後ろを歩いている人にやめてくれと言うと、それは木の上から垂れてきたまだらの蛇だったとか(多分、これはシャーロックホームズシリーズの「まだらの紐」とのミックスであろう)。
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あれは母の教育方針だったのだろうか。もしそうであるなら、今さら遅いが亡くなった母にどんな効果を狙っていたのかを問うてみたい。(単に怖がらせるのが面白かったからかもしれん。)
もしかしたら、ご先祖様を供養する大切さとか、人間が森羅万象の中で生きていることを再確認させるとか、世の中には理屈では説明できない摩訶不思議な現象があることとか、霊魂は存在することとか、いろいろなことを理解・体感させたかったのかもしれない。
今思い出したが、ものすごい雷雨の時に、二階の窓から稲妻や落雷の観察をさせられたこともあったな。その時も、母の田舎で雷雨が止んだと思って外に出た坊さんが、口を開けて笑ったら金歯に雷が落ちて亡くなったとか、そんな話を聞かされていた。多分、雷に対して注意を怠るな、気を抜くなということを教えたかったのかも。
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この教育を受けたおかげで、季節や天候や自然現象に人並み以上に敏感になったと思う。そして絶対に自然を舐めず、侮らず、常に大自然に敬意を払う人間になった。
その一方で、自然を見ていると、想像を膨らませて怖い話を勝手にどんどん作り出す人間になってしまいました。
猫間英介
鎌倉の関する歌を集めました。